「写真でたどるアドルフ・ヒトラー」
特別、目新しい写真はなかったけど…。
20世紀の歴史的人物で、一番、知りたくなるのは、やはりアドルフ・ヒトラーだ。
前半は、幼少期の環境から家族や友人との関係等、如何にしてあのような人物が育ったのか、を紐解くような内容。
病気を患った母クララに対しては隣の部屋で寝起きして献身的に看病を続けたが、年配の父のアイロスは、短気で支配的で、母クララやヒトラー他家族にはすぐにムチを使って暴力を振るったという。
「父親を恐れて反抗するという決意は、いろんな意味で可能性を開く、賞賛すべきだが結局は当てにならない有害な自信を育てたように思われる」と著者は書いてるが、ヒトラー及び両親の出自に関しては謎が多くて、わかってる環境を知るだけでも、特別に変わってるとは思われない。
幼少期に、あの残忍な独裁者を育てたと思われる要因があったとは考えにくい。
確かに、学校では規律に従わない問題児であって、父親ともしょっちゅう諍いを起こしてはいたけど。
ドイツ民族主義への興味の萌芽が見られるのは中高生の頃だ。
それから、青年期は、画家を目指すものの、大学受験には失敗して、浮浪者収容所に入るくらいに生活は困窮する。
第一次大戦におけるドイツの敗北で激しい動揺を見せて、自分の使命が「ドイツを救うこと」にあると確信、政治家への転身を考える。
まずは軍の諜報機関に所属し、その調査で「ドイツ労働者党」に潜入したことで、そこの大会で演説するハメになるのだ。
そして、当時のドイツの政治状況の中で大多数の大衆が望んだことに、偶然にも上手くハマって、あれよあれよという間に頭角を表すようになって来る。
民主主義にはどうしても限界がある。あらゆる決定に関して、全員の意見を聞くわけにはいかないからだ。
リンカーンが唱えた「人民の、人民による、人民のための政治」というのは、理想かもしれないが、実際には限られた範囲でしか実現しない。
現代の民主主義は、話し合いと物事を進めたりやり遂げたりするための現実的な必要性との間に、どうにか妥協点を見つけることで成り立っている。
しかし、極端な政治思想を持つ人々にとって、制限がある民主主義はただ欺瞞でしかないのだ。
ヒトラーにとって重要なのは全てを上回ることであって、国民は国に奉仕するために存在するのだ。そして、総統の意思によって導かれなければならないのだ。
国民も、わかりやすい手っ取り早い解決に熱を上げた。それは、世界主義の権化であり、祖国を持たない根無し草であり、とことん強欲であるとされたユダヤ人への攻撃に繋がる。