「何が私をこうさせたか」
先日、金子文子と朴烈を描いた韓国映画を観たが、その金子ふみ子の獄中手記をゲット。
彼女は、大正期のアナキスト、といっても良いのかなぁ。朴烈の大逆事件で捕まって、昭和元年に23歳で獄死している。
いや〜、読み進めるのが辛くなるほど凄まじくて、メッチャ面白かった。
超極貧の環境に置かれて、親には捨てられて、朝鮮他、あちこちをたらい回しにされて、自分でなんとか自活しようともがいて、朴烈と出会って、一気に人生の終息に向かったって感じだ。
ココまで貧困と差別と搾取の環境にいたら、革命を志す左翼になってもおかしくはないだろう。その前に、性格が捻くれてしまうと思うけど。
金子ふみ子を苛める周りの人間たちも、赤貧によって、歪んだ性格になってしまった連中ばかりだ(あくまで手記によるけど)。やはり弱者は弱者を攻撃するものだ。
親の勝手な都合で無籍者として世に出た金子ふみ子は、幼少期から両親の情交を見せられて、父親は早くに家出、母親は男遍歴を続け、ふみ子は捨てられて、小学校では、貧乏で校長に贈り物ができなかったことで終業・進学の証明書がなかなかもらえず悔しい思いをしている。
「真実その子を愛するのではなく、自分の幸福のために子供を捨てておきながら、げに嫌だったらもう一度帰って来てその子の世話になろうといったような横着な心でのみ子供を愛しているのではないのですか」と大人に対して恨み節である。
9歳の時、朝鮮の祖母のところに養子として行くのだが、コレまた凄まじく、この年齢で自殺を実行しようとするくらい、祖母らによる、抑え付けられて、一切の自由を奪われる無茶苦茶な苛めを受けている。
常に叱言を浴びせられて、事あるごとに折檻されて、ガリガリに痩せるほど煩悶している。
唯一、優しく接してくれたのが近所の朝鮮人家族で、ココから、当時の彼らの立場を自分の境遇と重ね、深く共感を抱いたようだ。
「子供をして自分の行為の責任を自分のみに負わせよ。自分の行為を他人に誓わせるな。それは子供から責任感を奪うことだ。卑屈にすることだ。自分の行為の主体は完全に自分自身である事を人間は自覚すべきである。そうして初めて、人は誰をも偽らぬ、誰にも怯えぬ、真に確乎とした、自律的な、責任のある行為を生むことが出来るようになるのだ」
こうした体験から、ふみ子は、祖母らの攻撃をかわす嘘も覚え、ひねくれた性格になったものの、赤貧という環境とそれに左右される人々と、同様に苦しめられている人々と一緒に、苦しめている人々への復讐を誓うのだ。
朝鮮から帰って来ても、赤貧生活は続き、酷い境遇に置かれるが、知り合った学生や労働者から得たパンフレット等によって、社会主義の思想を知る。
「社会主義は私に、別に何等の新しいものを与えなかった。それはただ、私の今までの境遇から得た私の感情に、その感情の正しいという事の理論を与えてくれただけのことであった。…しかし、私の心の中に燃えていた反抗や同情に、パッと火を付けたのが社会主義思想であった。私は私達哀れな階級のために、私の全生命を犠牲にしても闘いたい」
「人が死を恐れるのは、自分が永遠にこの地上から去るという事が悲しいからです。人は地上のあらゆる現象を平素は何とも意識してないが、実は自分そのものの内容なので、その内容を失ってしまうことが悲しいのです」
「私は私自身の真の満足と自由とを得なければならない。私は私自身でなければならぬ。私は私自身の仕事をしなければならぬ」
「私は人間の社会に理想を持つことができない」
金子ふみ子は、短い人生で、過酷で痛烈な体験をして、人間の真実を知った。主義も理想もフェイクであるということに。ニヒリストたる所以だ。