「日本のいちばん長い日」
当然、映画よりも、微に入り細に入り、1945年(昭和20年)8月15日に至る当時の政府や陸軍等の緊迫した状況が詳しくわかる。
前日正午から15日正午までの、一時間ごとの出来事が手に汗握るようなドキュメンタリーのように、まるでその場にいたみたいに書かれているが、全て宮城を中心とした密室の出来事だ。ほとんどの国民はもとより前線の兵士は何も知らない。
徹底抗戦、本土決戦、総玉砕を叫ぶ陸軍省の一部の連中等が、ヒロヒト天皇のポツダム宣言を受け入れる意思、“ご聖断”にも反発する。
天皇が、自分の身はどうなってもよい、と話したことに対し、「現人神としての天皇の神性は、国民感情の中にある。それは天皇自身も考慮されねばならない。降伏承認などという馬鹿げた方針は、皇室の形骸だけを残して日本の伝統的精神を無視するもの」というように。
当時の軍人にとって、こうした精神主義は戦争遂行の大きな理由でもあったろうし、自分のアイデンティティの中心となるものだったろうと思う。
それで226事件のような「宮城事件」を起こしているのだが、陸軍のトップ誰しも、降伏で本土決戦、玉砕が叶わないのであれば、後は死ぬしかないと思い詰めてる割には、阿南大将(切腹、介錯なしで自分で頸動脈を切る)をはじめ2人を除いて死んでない。まるで死ぬ死ぬ詐欺だな。
海外の前線に赴いた戦闘員や敵艦に突っ込んだ特攻隊員など、命令のままに若い命を散らした無数の兵士がいるのに。
新しい日本に期待するのであれば、天皇以下トップは、ちゃんと責任を取って落とし前を付けろよ、と俺なんか言いたくなるわね。
でもまあ、戦争とはこういうものなのだろう。やはり“耐え難きを耐え、忍び難きを忍び“じゃなきゃ。
総玉砕には至らなかったけど、多くの日本人は精神的に玉砕したのかもしれない。とりあえず価値観や常識など全てが崩れ去ったのだから。徹底的に崩れたからこそ戦後の復興も目まぐるしく早いものだったといえると思う。
脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。