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「カスパー・ハウザーの謎」
「カスパー・ハウザーの謎(Jeder für sich und Gott gegen alle)」(74年・西ドイツ)。ニュー・ジャーマン・シネマの巨匠、ヴェルナー・ヘルツォーク監督作品だ。
カスパー・ハウザーは、昔、渋沢龍彦の著作で知ったが、1800年代のドイツで突然現れた不思議な孤児で、人間らしいことが全くできずに、話せず、書けず、どこから来たかも不明で、当時のブルジョワ階級や知識人の間でも話題となった。動物のような野生児だったらしい。
後に受けた教育で表現できるようになったが、詳細が明らかになる前に何者かの手によって暗殺されたため、結局、今も正体は不明なままで、真面目な研究書もある。
発見された時、不思議な手紙を携えていたから、実は高貴な出自であったとか、突然過去(未来)からやって来たとか、都市伝説となりそうなエピソードがいっぱいだ。
当時は浮浪児や孤児は珍しくなかったと思うが、なぜ彼だけが注目されたのだろうか?そういえば、狼に育てられた少女ってのがあったね。あれは寄付が欲しい修道院の作り話だったが、似てるかもしれない。
多分、望まれない出産でどこかに閉じ込められていたのじゃないかな。長い間、暗いところに閉じ込められていたため、得意なまでの鋭敏な五感を持ってたとされている。
映画は、こうした伝えられるエピソードをなるべく忠実に再現したものだ。
カスパー・ハウザーが道端に立ってるのを発見され、孤児として保護されて、いろいろと調べていく中で、皆、彼の自由な発想に驚き、戸惑う。
宗教者や哲学者らが教育を施すが、神の概念が理解できずに、逆に知識人こそ神という概念を絶対化して、そこを基盤とした発想しかできてないことが意図的に描かれる。
カスパー・ハウザーは、そういう意味で「僕がこの世に現れたのは激しく堕落したようなものだ」と囁く。
やはり概念とは自由な発想を遠ざけてしまうものなのだ。彼の鋭敏な五感から来る無垢な発想こそが本当の表現なのかもしれない。人間と動物の大きな違いのひとつに欲とは別に“表現できる”ことがあるように思う。
野生児のような姿で発見されたカスパー・ハウザーが社会に参加して人間を取り戻すが、そこはほとんど概念が支配するところで自由な表現とは縁にない世界だった。純粋であり続けることの難しさ…。さすが外さないヘルツォーク監督の映画だった。
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