「遺書143通」
特攻隊員の「遺書」分析。
よくあるイデオロギーなどによる美化では決してなくて、客観的に、なるべく事実のみを綴ったと思われる良書。
海に散ったであろう隊員はもちろんのこと、生還者や朝鮮人の隊員らが記した遺書から、特攻隊員を見送った人々とその周辺の証言まで。
概ね、遺書の内容はパターン化されて、①皇国史観、②使命感、③家族への想い、④近隣者への想い、⑤郷土への想い…に分けられるという。
中でも、俺がビックリしたのは、生命保険に入って受取りを身内にしたことや、貯金通帳を送ったことなどを記してあることだ。身内のその後の生活を心配してのことだろう。
ほとんどの特攻隊員は、死を目前にしながら、死そのものを考えていたというよりも、死の直前までを、いかに精一杯生きるかを考えていたようだ。死を受け入れて、それに喜びさえ見出している者さえある。
また、朝鮮人の特攻隊員には、祖国や同胞への想い、朝鮮人としての誇りと日本のための特攻死という矛盾の中で、朝鮮の独立と未来に繋がることを信じて飛び立たなければならないという苦悩があったようだ。
飛び立つ前の、特攻隊員と世話をしていた周りの人々との数々の感動のエピソードは、どうやら戦後に特攻美化のために作られた話もあるみたいだ。
よく言われる、特攻は志願か命令なのかは、特攻の根幹は、命令に基づく戦闘作戦の延長・帰結であるから、単純に分けることはできないと思う。
一旦は出撃したものの、何らかの理由で生還した隊員を隔離・収容した施設が当時、福岡にあった。生還者への罵倒、暴力、処罰、終日正座して軍人勅諭を筆記など、逃亡者や自殺者まで出るほど、“地獄”のようなところだったという。
しかし、1人くらいは、沖縄方面に向かうのを止めて、自分たちを死に追いやった、大本営や皇居に突っ込んでやろうと思う者はいなかったのだろうか。
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