フランツ・カフカ「アメリカ」

確か、映画にもなったフランツ・カフカの「アメリカ(Ameri”k”a)」。最初のタイトルは「失踪者」だった。

コレと「審判」「城」の長編3つは“孤独の3部作”だという。ある日突然、不条理にも、罪があると被告にされて裁判にかけられて刑死する「審判」、ある寒村の城主に呼ばれた測量士Kが城に行くが、いつまで経っても城の中に入ることを許されない「城」、そして、この「アメリカ」は、故郷ドイツを追われた少年カール・ロスマンが、アメリカに渡って、様々な出来事に遭遇しつつ放浪を続ける物語だ。

ロード・ムービーみたいだが、全然そんなカッコいいものじゃないのは当たり前。カフカだから。

カフカの小説にはKが象徴的に使われる。

故郷も年上の女の問題で親に厄介払いされて、最初、NYの叔父に会って助けてもらえると思ったら、よくわからない理由で叔父の家からも追い出されて、今度は2人の浮浪者に付きまとわれて、金も取られて、親切なホテルのスタッフに助けられてエレベーターボーイを務めることになるが、また浮浪者に付きまとわれて、エレベーターボーイをクビになって、ホテルのコック長の好意から、ある孤児の女の子とねんごろになるが、また引き離されて、ある女性の家で使われて、挙げ句の果てには、オクラハマの野外劇場に技術労務者として雇われて、懐かしい友人に会ったりして、オクラハマに向かって汽車に乗る…という流れ。

ココで終わってるけど、この後、物語が続いたとしても、だいたい予想はできる。蔑ろにされて、追放されて、仕方なく逃げ出すことになるだろう。

一つの出来事に、次から次へと問題が絡んで来て、問題解決がさらに遠くなるというか、新たな問題になってしまうという、言葉のシャワーに読んでてイライラしっ放しで、めっちゃ根気がいるし、いつまで経っても終わりがないのだ。

カフカは、読む者の好奇心に、マトモに答えることは決してない。常に完成形でもあるし未完成形でもある。

象徴的な意味を考えると、マジでアタマが痛くなって来るので、とにかく全てにおいて不安で自分という存在さえも否定せざるを得なかったカフカの心象を表したものということにしとこう。

マトモな精神構造でカフカの小説を読むと、ヒジョーに疲れるのだよ。


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TOMOKI
脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。