「高峰秀子との仕事 1・2」
地元図書館の、10円のリサイクル図書。偶然にゲット。ラッキー。
晩年、デコちゃん(高峰秀子)と脚本家・映画監督の松山善三夫妻の養女となった元文春記者の著者が、文筆家としてのデコちゃんについて書いたもの。
スゴい面白くて、2冊とも一気に読んだけど、考えさせられる、ためになることが多かった。
前にも同じ著者の「高峰秀子の流儀」って本を読んだ。
俺は、映画を見て、自伝他エッセイを読んで、デコちゃんのファンとなったから、彼女の歴史は概ね知ってるけど、4歳半の時、実母を亡くし、さらわれるようにして叔母・志げの養女になって以来、彼女を苦しめたのは、血縁というしがらみだった。
十数人の親戚を養うために、学校にも行かせてもらえずに、女優を続けさせられた。30歳で松山善三と結婚して、ようやく血縁との縁を断ち切ってきたのだ。血縁はデコちゃんにとって、自身を苦しめるものであって、幸福とはほど遠い要素だったのだ。
老年になってからは、気に染まぬことは金輪際しないと宣言してるかのような生活だったという。「これでやっと本当の自分になれた」とし、「ウチには亀の子束子に至るまで、私の嫌いなものは何一つ置いていない」と言い切る。
そんなデコちゃんだから、インタビューを受ける時も、決して話が逸れない。最初から最後まで、淡々と客観性を持って話し、随所で真理を語る。「女優という商売が好きになれなかった。でも、辞めることはできなかった。ならば、せめて“はらわたのある女優”になりたいと思ったの」。
数多くの一流作家を唸らせたという、的を射抜くような鋭い感性と語彙感覚の持ち主だった。
晩年のデコちゃんは「怖い」と言うが、それは違う。「スゴく怖い」のだ。あらゆるものを見抜く“目利き”の目を持っていたからだ。本物と偽物を選別し、偽物は決して生活圏内に入れない。ハッキリと拒絶の態度を取る。
だから、他人との付き合いは“黙って想う”が基本。「相手の時間を奪うことは罪悪です」だから。他人を想うことは理解することであるから、それで充分なのだ。冠婚葬祭にも出ない。親しい人が亡くなった時は、その人の元気だった姿を最期の姿として記憶にとどめたいと思っているから。
生まれつき何もいらない人、深い穴を掘って、その底の方にジィーッとしゃがんでいたい人。80を過ぎてから、なるべく外出も止めて、料理をして、本を読むだけの、完全な隠遁生活となる。
女優という仕事を最後まで好きになれなかったデコちゃん。「私は、決して女優で人生を終わりたくないの」。「成瀬監督が死んだ時、私という女優も終わったと思った。それは、もう仕事にも映画にも一切、きれいさっぱり未練がなくなった…殉死だね」。
「自分の好むと好まざるとにかかわらず、人に名前や顔を知られるようになった人間には、社会に対して責任があります」
この、品の良いおばあちゃん、なんて潔かったのだろう。
インタビューの中の一言。「太宰治なんて自分のしたいことだけして死んじゃった。三島由紀夫だって、何が美学だ、あんなことして。残された者の身になってください。冗談じゃないですよ。いつもワリを食うのは女なんだから」ww。
出演作が300本余りある中で、本人が好きだった作品。
「浮雲」「二十四の瞳」「馬」「名もなく貧しく美しく」「女が階段を上がる時」「張込み」「山河あり」「放浪記」「雁」「無法松の一生」「華岡青洲の妻」「恍惚の人」「春の戯れ」。
…「自分から演りたくて演った役は一つもない」、「自分から演りたいと言ったことも一度もない」…。
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