【映画】「アメリカン・サイコ」
アメリカのセレブのサイコパス野郎の深い闇を描いた「アメリカン・サイコ(American Psycho)」(米・2000年、メアリー・ハロン監督)。
アメリカで話題になった小説の映画化。
NYウォール街の投資会社に親のコネで副社長として勤務するパトリック・ベイトマン。
もう劣るところのない典型的エリート・ビジネスマンで、一等地のアパートメントに住み、トレーニングで汗を流し、美容にも金をかけて、夜は高級レストランで仕事仲間とテーブルを囲む(仕事内容は出てこないけど)。
美しい婚約者はいるけど、常に他の女性と遊んでいる。
これだけでサイコの材料は揃ってるかもしれないが、同じ高収入の仕事仲間と、行きつけのレストランや名刺のデザインを自慢し合い、激しい嫉妬に身を焦がしたりしてる。
それだけだったら珍しくもないと思うけど、ベイトマンは、ストレス発散から、街で見かけたホームレスをナイフで滅多刺ししたことから、人を殺す快楽を覚える。
気に食わない仕事仲間から、3Pの相手をした娼婦、クラブでナンパした女、通りすがりの老婆…と次々と毒牙にかけていく。ついにはアパートの冷蔵庫に生首を並べる始末。
狂ったエリート・ヤッピーの連続殺人だけど、ラストまで観ると、これまでの殺人が妄想のようなオチで、もしやドラッグをキメてたのか?統合失調症だったのか?イマイチ、ハッキリとしないままに了となっちまったよ。
アパートで、好きな音楽(80年代ロック)を流して自ら解説を加えながら女を抱いたり、腰を動かしながら鏡に写る自分を見てポーズを決めたり、ポルノ映画や「悪魔のいけにえ」(チェーンソーで殺す場面もある)を流しながらアポの電話をしたり、ベイトマンの裏の顔が覗けるシーンはニヤリとしちゃうねー。
ベイトマン他、ウォール街で働くエリートビジネスマンというのは表向きだけで、皆、仲良くしてても、全部上っ面だけの浅はかなものだ。
「欲望と嫌悪感だけ」というベイトマンは、腹の中では皆を貶しつつも、そのコミュニティに順応して溶け込んでる。一方で殺人に手を染めることで精神のバランスを保ってるのだろう。究極の反社会的行為である殺人にのめり込み過ぎて、自ら破滅を招くという流れは理解できる。
一見、誰もが羨むほどの生活を送ってるのだが、やはり金儲けと女遊びとパーティーに明け暮れて、異常に他人を意識して常に蹴落とそうとしていると、それが劣等感から来る空虚と激しい嫉妬心ゆえに、誰もが持つ心の闇は深く広くなっていくものだ。
この映画を観てて、現実なのか、幻想なのか、ハッキリとしない終わり方に多いに不満はあるけど、一応、納得してしまった俺は、サイコパスの気質があるのかもしれない。
もはや境界線は存在しない
俺たちが共有する 抑制できない衝動、狂気、悪意、不正
俺が引き起こした暴力と
それに対する無関心さを俺は超えてしまったのだ
激しい痛みがおさまらない
他人のためにこの世が良くなることなど願わない
他人にも俺の苦痛を味わわせたい
誰も逃がしたくない
でもこれを認めた後でさえカタルシスは起こらない
俺は処罰を受けず、自分を深く理解することもできない
告白から何か新しい知識を得るわけでもない
この告白には何の意味もないのだ…。
脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。