「金子みすゞ全集」
全集
①美しい町
②空のかあさま
③さみしい王女
クリスマスイヴに、独り遊びでみすゞちゃんを読む。
ひねたプチサイコ中年ジジイでも泣きたくなってくる、みすゞちゃんの小さな“かはいい”言葉の数々。
大昔に26歳で夭折しちゃったから、そんなことはないのだが、この気持ちと感性をずっと永遠に持ち続けてほしいと、勝手に父性本能を持ち出したくなるほど、独り籠って胸に小さく沁みてしまったのだ。
キレイな“かはいい”言葉の裏に、両親への想いや一歩引いた俯瞰的な情熱、外の大きな世界への憧れ、自然への畏敬、寂しい自分への慰みが、まさに“女の子”の視点で描かれる。一つ一つの情景が目に浮かぶから、もうたまらん。
女の子の、全てを自分の小さな世界へ取り込んでしまう、時に乱暴な、こうした視点に憧れる。色眼鏡で読んでしまふ。
詩は、他の文芸のように細かく説明はしないから、さらに想像の世界に遊ぶことができる。だからこそ、たった一文で読む者の想像力を大きく飛躍させる使い方が必要となってくる。それこそ言霊(コトダマ)である。詩は、読者も試されるのだ。言葉というものは奥が深い。言葉音痴を治そう。
「母さんにきいても、母さんも、
町にいるから、知らないの。
いつも私はさみしいの。」
「ただ、せつない、ひびきばかり、
ああ、いまも、水のように、
かなしくしづかに沁みてきます。」
「けふの私に
さよならしましよ。」
「もしもお花になつたつて、
やつぱしいい子にやなれまいな、
お花のやうにはなれまいな。」
「夢がほんとでほんとが夢なら、
よからうな。
夢ぢやなんにも決まってないから、
よからうな。」
「夢のないときや、どこにいる。
夢のないときや、わからない、
夢のないときや、ないゆえに。」
「誰がほんとをいふでせう、
わたしのことをわたしに。」
「私は子供で ちひさいけれど
ちひさい私の
こころは大きい。」
「もしもお空が硝子だったら、
私も神さまが見られませうに。
…天使に
なつた
妹のやうに。」
「星に書かれた七つの字、
メ、リ、ー、ク、リ、ス、マ、七つの字
忘れられない、
病院の、
壁に煤けた、七つ星。」
最も有名なみすゞちゃんの詩といえば、震災の時、ACのTV広告でシツコク流されたコレだろうな。↓
「遊ぼう」つていふと
「遊ぼう」つていふ。
「馬鹿」つていふと
「馬鹿」つていふ。
「もう遊ばない」つていふと
「遊ばない」つていふ。
そうして、あとで
さみしくなつて、
「ごめんね」つていふと
「ごめんね」つていふ。
こだまでせうか、
いいえ、誰でも。
カワユス↓