「チッソは私であった」

タイトルに惹かれて。

著者は、幼少期から水俣病を患い、企業チッソとの激しい闘争を経て、最前線から離脱、作家の石牟礼道子氏らと共に、独自の運動を展開した。

チッソへの激しい抗議行動で逮捕された経験もあるのだが、チッソが加害者であるといいながら、チッソのハッキリとした姿が見えてこなくなったという。

裁判や認定申請という制度の中での手続き的な運動となって、チッソから本当の謝罪の言葉を聞くことはなく、歯痒い思いだけが残ったと。公害である水俣病を起こした責任は、システムの責任となって、そこに一番大事な人間が抜け落ちてしまったと話す。

つまり、高度経済成長という時代という流れに沿って、チッソが生み出す製品をはじめ、近代化が生んだ身の回りの物、全てが責任を持つことになり、そこに生身の人間は登場しないのだ。

闘う相手も、次々と人が変わったりして主体が見えない。投げかけたものを受け取る相手がいないから、逆に、自分のところに跳ね返ってきてしまう。それが溜まってきて、その問いに自分が押し潰されんばかりになって、その重圧の結果、著者は狂気も体験している。

そして、チッソとは何か?闘ってる相手は何か?を考える先にあるのは、巨大なシステム社会だったと気付く。それは法律であり、制度でもあるけど、それ以上に時代の価値観が構造的に組み込まれているものだと。

著者は、水俣病闘争の核心は、「命の尊さ、命の連なる世界に一緒に(加害者も)生きていこうという呼びかけであった」というが、闘争をキッカケに内省的な思いを深めた著者の哲学は、人間を産んだ自然と、歴史上の自然からの独立を目論む行動、近代化による自然の征服、そして、“元の木阿弥”の滅亡へと流れる、理不尽な人間の矛盾を表しているように思う。


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TOMOKI
脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。