「元禄忠臣蔵」
溝口健二監督の、1941(昭和16)年の時代劇「元禄忠臣蔵 前編・後編」。
公開は、太平洋戦争に突入した年で、情報局国民映画参加作品とされている。つまり国策映画だな。
忠臣蔵って歌舞伎の演目のひとつで、前は年末にTVでも必ず放送してたけど、俺は、まず年寄りが好きなものとして避けてて、これまで一回も見たことはなかった。
元禄時代に、江戸城の松の廊下で、アサノタクミノカミが、キラコウズケノスケに侮辱されたことで斬りかかる事件があって、アサノは切腹となり、彼が藩主を務める赤穂藩はお家取り潰し、被害者のキラは何のお咎めもなしとなって、それを不服としたアサノの家来、オオイシクラノスケが率いる赤穂浪士数十名が、キラ邸へ討ち入りし、キラの首をはねた…というもの。ま、脚色した集団テロ事件だね。
溝口作品には、忠臣蔵で盛り上がるであろう最後の討ち入りの場面がない。台詞で説明するのみ。でも、そこは溝口監督、アサノの身内やオオイシ達の苦悩や哀しみなど、人間対人間の、心のせめぎ合いに焦点を当てている。
主君に殉じて切腹をするか、国を守るために生きて戦うか、意見が分かれるところを、オオイシは幕府に城を明け渡すことを決める。
戦争突入の物資が不足する時代に、国策映画とはいえ、デカい大掛かりなセットや人物の服装など、よく用意できたものだなぁと感心するし、溝口流の濃ゆい味付けがされた有名な古典なのだが、まず映画が古いため、格式ばった武士言葉(?)が理解しずらいことが多かった。字幕が欲しかったね。
なるほど、立場が弱くジッと耐えるだけの赤穂藩の武士らが最後の最後に決起して、キラの首をはねて、主君の復讐を遂げるが、幕府によって切腹させられるという悲劇は、(日本人には)ウケるかもしれない。
さらに、周りの妻や子供、配下の者が献身的に自分を殺してでも尽くすという姿勢もたまらないかもしれない。
コレも無常感と同様、日本独特の美学の一つだろうね。
この忠義を尽くす精神が、自己啓発系のビジネス書などに応用されてもいるから、俺はこういう時代モノは全然好きくない。自分を捨てて、主君や国家に仕えることの背景に、エロスや人間の業といったものが見え隠れすると、美学の一つになるとは思うけど。
ということで、溝口健二作品といえども、あまり面白いとは思えなかった。