逃避行 第一章
あ、もう無理だ。本気でそう思った。ぷつんと糸が切れてしまったのだ。別に初めてのことではない、珍しいことでもない。しかし私はこの途切れた糸の対処方法も、途切れないための緩衝材も、19にしてまだ持ち合わせてはいなかった。
今は深夜の1:48。「深夜」というのは少し媚びた言い方だ。私の身体はとっくに正しい時間感覚というものを失ってしまっているため、たかだか午前2時如きに深夜という感覚はない。はっきり言って深夜という感覚すらないが、強いていうならば四時頃がそれだ。「夜行性なんだよねえ」「昼夜逆転だよ」だなんて茶化していた時期もあったが、もう笑えないほどには身体が思うように動かなくなってしまった。
こうなってしまったら仕方がない。リビングに行き、電気をつけ、ケトルに水を汲んだ。インスタントのカフェオレを淹れるのだ。
このような夜を越さなければいけない日が度々あるため、自分のためだけのインスタントの飲み物ストックがある。最早一つの趣味かもしれない。ココアに、カフェオレに、ルイボスティーに、時々軽いスープ類。基本的には甘めが好みで、無意味にもカフェインレスが多い。適当に一本箱から抜き取ってマグに入れ、お湯を注ぐだけなので本当に有難い存在である。
カタンとケトルのボタンを押した。昼間に使用すれば仕事が早いのに、こんな夜はケトルも億劫なのだろうか、随分と時間が伸びをする。しばらくして、シューッと稼働を始めた合図がした。
まず、青くて丸いと噂の地球がある。
その中に日本という島国があるらしく、その首都が東京。その西側の下町に位置する駅を最寄りとするアパート。さらにその三階の端っこの部屋、そのうちの北六畳が私の部屋。南側にはリビングがあり、時刻は1:52、私は途方に暮れているところである。
私の部屋と、トイレと廊下を挟んだ先の寝室には弟と父親が寝ている。何が不思議ということもない3人家族だ。母は弟を産んですぐ亡くなったらしくあまり記憶にはいないものの、特に暮らしにおいて困ったことはないというのが現状だった。このような話をすると「可哀想な子」「悲劇のヒロイン」となってしまうこともしばしばあるが、実際には悲しくなるほどの思い出も不便も、私は持ち合わせてはいなかった。薄情と言われればそうなのかもしれない。
「つぐみ。お前は思うところとか、ないの?」
実父は私にこう投げかけた。少しシワが刻まれているものの若い頃は美形だったのだろうと思わせる顔に、どこか哀しそうな影を落として。
「お前は娘なのに、母が死んだのに悲しくないのか?」そういうことだろう。しかしながら、思うところなどあるわけもない。言われて出すものでもない。
「他人の感傷を無理矢理に引き出して自分の人生のスパイスとして消費してくれるなよ。」
確かにそう思ったが、私は何も返せなかったのだっけ。口内に留まったこの言葉はまだ喉仏のあたりにいる。とは言っても遥か昔の記憶である。
昔の記憶は嫌いだ。朝も昼も夜も知ったこっちゃあないと、時場所問わずふわりと私を取り囲んではじりじりと内臓を食い潰してくる。鬱を放置してからというもののこの病は自分に寄生して好き勝手してくれていて、膿のように吐き出すこともできず、さらにそれを嘲るようにやってくるのだ。
これは最早私の一つの特性であった。波の大小はあれど四日に一回ほどにはこのような状態に陥る。さらには大抵、悪夢を見る。昔に教室で日々を過ごした仲間の学生生活や就職は、実はさして私の癌にはならない。自分が何かしている未来など明日すら見えないので、あまりの現実味の無さから未来への焦りは湧いてこない。しかし、何に焦っているか自分でもよくわからないままに、滑稽にも本気で焦っている。
このような状態になってから早8年が経った。医者によると鬱という病らしいが、この診断は一時の安堵にしかならなかった。病名がつけば安心はできた。自分の苦しみが、とりあえずは存在を肯定されたから。でも次は、どうする。そう言われると途端にわからない。わからないというのは、思考がぐるりぐるりと回転してどこにも行き着くことがないままふっと組織液に溶けだしてしまうことだ。血液として動脈を生きてはいないため、掻き切ったって出てきやしないし、みるみるうちに身体中に染み込んで、在処の特定すら不可能になってしまう。私の組織液の思考濃度はもう大分高い。
カタンと音がして、シューーとケトルが肩の力を抜いた。お湯が沸いたのだ。
とりあえず今夜は眠ることもできそうにないため、まだ沸々としたお湯をマグに注ぐ。嗚呼本当に意味もないカフェインレス。このピンク色のマグには保温性もないため、きっとすぐに人肌程の温度になる。そう踏んで、冷めるまで思考という頭の好き勝手に付き合ってやる。私はあと何度このような夜を越せば良いのだろう。いつか楽になれるのだろうか。楽とはそもそも一体何であったか。すんなり眠ることのできる日々は思い出すにはあまりにも遠く、覚束ない。
カタカタとかき混ぜたカフェオレがふっと香って、その時はいい気もしたが、喉に流し込むと何だか気持ちが悪くて結局半分ほどしか飲めなかった。身体の真ん中の方で膨張を続けているようななんとも言えない心地の悪さだ。味が嫌いなわけではないのに。しばらくは惜しむように焦らすようにマグのまあるい縁をなぞっていたが、飲む気がもう一度起きることはなかった。これももう仕方がないのでマグを机に置き、布団の上に倒れ込む。
8年のお付き合いをしてきたこの特性とかいうのはなかなかに難儀で、こうなってしまったら明け方まで寝られないのが常だ。温かい飲み物や音楽や眠剤はさして役に立たない。気まぐれに香水を振るが、「寝香水」とは名ばかりだ。抵抗するだけ無駄なのだ。暴れる我が子にそうするように布団の中に身体をぎゅうと敷き詰めて、とりあえず目を伏せて、真っ暗の中に視界のムラを探す。擦り合わせようがあたたまらない足先が、外の冷気に触れないように懸命に身体を小さくする。羊なんて数えたって救われやしない。数えた羊の数すらも思い出せない自分に絶望するか、広場ごと薄黒く生温い波がどうと飲み込んでしまう。だから、あとはただ自分の呼吸に意識を集中する。そのようにしていると、なんだか人が宗教に傾倒する気持ちもわかるような気がしてくるものだ。
昔は暖色の電気をつけていたのに、いつからだろうか、寝る時は部屋を完全に暗くするのが常となった。そうすると不思議と部屋の方が暗くなり、カーテンから月の光が漏れているように錯覚する。この時この光を見てはいけない。夜に見つかってしまうから。薄目だとしても開けてはいけない。身体が少し伸びていることにはっと気づいたなら、身体の面積をさらに小さくする。自らの呼吸に耳を研ぎ澄ませる。今日もこうしてどうにかやり過ごすのだ、夜から身を隠して。こうして今日も待つのだ、夜が私に飽きて去っていくのを。