コンフォートゾーンを超えて超一流になるには 『超一流になるのは才能か、努力か』
超一流のスポーツ選手、演奏家、プロ棋士、初心者とは次元の違うパフォーマンスを発揮する人たちは、いずれも何らかの共通点があるように思える。
先日引退したイチロー選手の言葉を引用したい。
──イチロー選手の生き様でファンの方に伝わっていたらうれしいということはありますか。
生き様というのは僕にはよくわからないですけど、生き方と考えれば、さきほどもお話しましたけれども、人より頑張ることなんてとてもできないんですよね。
あくまで測りは自分の中にある。それで自分なりにその測りを使いながら、自分の限界を見ながらちょっと超えていくということを繰り返していく。そうすると、いつの間にかこんな自分になっているんだという状態になって。
だから少しずつの積み重ねが、それでしか自分を超えていけないと思うんですよね。一気に高みに行こうとすると、今の自分の状態とギャップがありすぎて、それは続けられないと僕は考えているので。地道に進むしかない。進むというか、進むだけではないですね。後退もしながら、あるときは後退しかしない時期もあると思うので。でも、自分がやると決めたことを信じてやっていく。
自分の限界を見ながらちょっと超えていくということを繰り返していく。ここに、熟達化(物事に習熟して、技能がさらに上達していくこと)の本質があると、フロリダ州立大学のアンダース・エリクソン教授は、彼の著書『超一流になるのは才能か、努力か』で述べている。
今回のノートでは、彼の理論の一つである「Deliberate Practice」について紹介する。
この「Deliberate Practice」、実は日本語に翻訳された本では幾つかの翻訳が存在する。
「意図的な練習」
> アンジェラ・ダックワース著 神崎 朗子訳『GRITーやり抜く力』 ダイヤモンド社
「探究トレーニング」
> 今井むつみ著 『学びとはなにか――〈探究人〉になるために』 岩波新書
「限界的練習」
> アンダース・エリクソン、ロバート・プール著 土方奈美訳『超一流になるのは才能か努力か?』 文藝春秋
上記から、意図的に様々な試行錯誤をしながら自分の限界を超えていく、そんな練習方法に関する一般化した理論であることがつかめてくる。
『超一流になるのは才能か努力か?』では、エリクソン教授は練習方法を「愚直な練習」「目的のある練習」「限界的練習」の三種類に大別している。
愚直な練習
読んで時のごとく、ただ愚かに素直に練習を続けてうまくなろうとすることである。練習の質よりも量を重視し、多くの時間を費やすことでうまくなることができるという「盲信的」ともとれる練習法だ。
この練習を続けていてプロになることのできる人はほぼいない。
目的のある練習
著者のエリクソン教授は目的のある練習のポイントを4つ挙げている。
1.はっきりと定義された具体的目標がある。
2.目的のある練習は集中して行う。
3.目的のある練習にはフィードバックが不可欠
4.目的のある練習には、居心地の良い領域(コンフォート・ゾーン)から飛び出すことが必要
以上の4つだ。「どんなスキルを高めるか」という目標なしには、何かを上達することはできないし、集中して行わなければ効果が上がらないのも当然だ。そして、客観的なフィードバックをもらうことで、改善点が明確になり、そして毎回コンフォート・ゾーンを超えれば上達することは間違いない。
しかし、この「目的のある練習」だけでは異次元のパフォーマンスを発揮できるようにはなることができないと著者のエリクソン教授は指摘する。
それは、「自己流の罠」という落とし穴のためだ。
自己流の罠に嵌った記憶術の実験
エリクソン教授は数字列を記憶することを課題として、被験者二人に記憶術を高めていく実験を実行した。それぞれ記憶の達人並みの記憶力を獲得したにもかかわらず、片方は記憶力を伸ばし続けたのに対して、もうひとりはそれ以上記憶力が伸びない壁にぶつかった。
伸びた方は覚え方を予め決めていた、それは記憶の達人も実践している方法で、数字を同じ数のグループに分けて記憶させる方法だった。
それに対して、壁にぶつかった人は、自己流でいろいろな方法論を考えていた。編み出した方法は「日付に紐付ける」というなんとも凝った方法だった。
ここからわかることは、どのように限界を超えて上達するか、それはその「進み方、パス」によって異なり、特に高度に発達しているスポーツや演奏、ボードゲームにおいては、熟達化の道筋があるということだ。
限界的練習
そして、限界的練習をエリクソン教授は提唱する。一言で言うならば、
練習メニューは学習者の現在の能力に基づき、現在のレベルを少しだけ超えられるように設計されている練習
こそが、限界的練習だと定義した。
さらに、上記した「目的のある練習」との違いを二つにまとめている。
1.対象となる分野が比較的高度に発達していること
2.学習者に対して、技能向上に役立つ練習活動を支持する教師が必要であること
つまり、目的に加えて情報が提供される練習なのだ。
高度に発達した分野である、ということに関してもうなずける。
テニスや野球などのプロスポーツ選手がいるものは、いずれも歴史が深く練習方法も日々発展しながらも確立されている。将棋や伝統芸能などに関しても同様だ。
初心者から、超一流のプロまで、一歩一歩限界を超えていくことのできる具体的な目標が設定され、適宜学習者のレベルに合わせて、そのプロセスがあてがわれることによって誰でも達人への道を歩むことができる。
しかし、エリクソン教授は「限界的練習は必ずしも楽しいものではなく、辛い」とも述べている。それを面白がれるPlayfulな心こそ、重要なのかもしれない。