知的好奇心と生涯遊び学ぶ人 『知的好奇心』
日本人にも『人を伸ばす力 ー自律と内発のすすめー』の著者、エドワード・デシ教授と同様にして「知的好奇心」の研究を行い、世界的な業績を挙げてた研究者がいた。それは波多野誼余夫先生だ。
基本的にはデシ教授が言うこととかわりがない。統制ということばの代わりに「疎外」という言葉を活用しているが、デシ教授の文中にも「疎外」という言葉は登場し、統制されたときに陥る子どもの状態のことを「疎外」という言葉を使っているため、同じ意味で言っているに違いない。
波多野誼余夫先生が生前著した名著『知的好奇心』には、行動主義心理学からの人間観である「怠け者」ではなく、人は「生涯を通じて遊ぶ人」でありつづける、「ホモ・ルーデンス」であると掲げ、人を動かす「内発的動機付けと知的好奇心の働き」を説いている。
さらに、そこから応用の話へと展開していくのだ。今回のnoteでは、この「内発的動機づけを育む実践にはどのようなポイントが必要なのか」について考える。
「子どもが夢中になる学習」、「楽しい学習」すなわち「遊びが学びになり、学びが遊びになる」ためには4つのポイントが必要だと述べている。
1.子どもに自由を!
2.豊富で構造化された環境を!
3.子どもの働きかけに応答しよう
4.相互交渉を通して知的発達を!
の4つであった。それぞれについて考えていこう。
1.子どもに自由を!
そもそも、遊びにおける楽しさの条件は、「自由が最大限に許されている」ことにあるだろう。自分がいつ始めてもいいし、いつやめてもいい。外側から統制されることによって、好奇心は萎縮してしまう。
できるだけ子どもイニシャティブを尊重し、自分で選択する自由を与えるのだ。
本文中では、自由をもたせることだけでなく、「安全」への親の意識の高まりからこの自由度がどんどん低下している現代に継承を鳴らしている。
2.豊富で構造化された環境を!
子どもに自由を与えることは、「自由気ままに放任すること」ではない。著者はこのように書いている。
子どもに自由を与えること、これは子どもを放任することではない。子どもが真に「自由」を楽しめる状態に環境を「整備しておく」ことが指導する側の責任である。
デシ教授の言葉を借りるならば、「子どもたちが内発的動機づけをもつための条件を大人が整える必要がある。」ことと同義だ。
そして、そのために必要なことを例示している。
・刺激の豊かな環境で探索する大きな余地を残しておくこと
・子どもの現在の能力水準と適度のズレを持つような刺激やモデルを用意すること
つまり、子どものレベルに合わせてうまく刺激をつくっていき、探索しながらも子どもたちがプロセスに没頭できるように条件を整える必要があるのだ。
3.子どもの働きかけに応答しよう
子どもの反応に依存して環境が「応答する」と、子どもの好奇心はさらに高められやすい。
つまり、子どもが働きかければそれが「うまくいっている」か「うまくいっていないか」すぐに判別がつくことを意味している。すぐにフィードバックが来ることで子どもたちは探索に夢中になり、遊び続ける。
著書の中では「トーキングタイプライター」が例に挙げられているが、今この例を挙げるとするならば、そう、プログラミングこそが子どもの好奇心を刺激するだろう。
もちろん「機械」だけが、子供の反応に応答する役目を果たすわけではない。人間もその役割を果たすことができる。
しかし、人間が子どもに「応答する」役割を果たすときに注意しなければならないことがある。著者は下記のように記している。
それは、子どもの疑問に、はじめから懇切ていねいに答えすぎない、ということだ。もちろん、子どもの疑問を無視したり、適当に答えてその場をやりすごしてしまうことは好ましくない。しかし、あまりに完全な答を与えすぎるのも問題だ。むしろなるべくヒントを与えるなどして、まず子ども自身に自分で考えさせようとすることが大切である。子供の発見する喜び、一人でやりとげた喜びをなるべく奪わないようにすることだ。
4.相互交渉を通して知的発達を!
自由な雰囲気の中で、子供同士の積極的な相互交渉を奨励することも大切である。
ここで注意しなければならないのは「社会性の育成」という言葉だ。どういうことかというと、日本の幼児教育は「集団の適応」を強調しすぎるきらいがあるため、他人の立場に立っても考えられるという相互性の学習が疎かになってしまう。
自分と対立する考えの存在を知ることは、この点(相互性の学習)で意義深い。それは、知的自己中心性という、自分の観点からでしか考えられない幼稚な思考様式を脱する上に必須のものだからである。
これらの重要な4つのポイントを述べた上で、子どもの学びに関わる大人のあり方について下記のように述べている。
最後に、ここでのべてきたような幼児教育のやり方においてのおしえる側の役割を簡単に述べておこう。
(中略)
おしえる人といっても助言者、プログラムの準備者である。一斉保育に典型的に示されるような「監督官」ではない。
子どもの遊びや学習上の困難の解決に援助を与える。あるいは、たえず気を配って、子どもが次の活動のために必要としているらしいものを周到に準備しておく、集団での話し合いの司会をする、これらが彼らの役目である。
この場合、指導するおとな自身が知的好奇心の強い存在になることが必要だ。子どもにいくら新しいものに積極的に取り組むことをすすめても、その当人が、未知の場面、不慣れな場面を避けてばかりいては困る。おとなのそうした態度は、いつのまにか子どもに伝わってしまうからだ。
井庭崇先生の「クリエイティブ・ラーニング」、市川力先生との章に書かれている「ジェネレーター」はまさに波多野誼余夫先生がおっしゃるものと強くつながっている。新元号に変わる記念すべき年に出版された『クリエイティブ・ラーニング』と約半世紀ちかく前の昭和48年に出版された『知的好奇心』がつながった瞬間だった。