No Child Left Behind Act(落ちこぼれ防止法)のケース 【ジェリー・Z・ミューラー著 『測りすぎ ーなぜパフォーマンス評価は失敗するのか?』】
No Child Left Behind Act(落ちこぼれ防止法、以下NCLB)は、2001年、ジョージ・ブッシュ政権下で施行された教育に関係する法律だった。
日本語で検索してもあまり出てこないこのNCLB。教育界隈では「最悪な法律だった」と評価されることが多いものの「なぜ良くない結果を導いたのか」ということについてはあまり説明がなされていない。
今回は、この「測りすぎ」の中で紹介されていたNCLBと測定執着の関係を見れば、
なぜNCLBが意図とは真逆に機能してしまったかがよくわかる。
NCLBが解決したかった課題
この法律の正式な名称は「どの子も置き去りにしないために、説明責任と柔軟性、選択肢を持って学力格差をなくすための法律」である。
なかなか消すことのできなかった、人種間の成績の格差解消を目標としたものだ。
格差解消のために国が行った対策
そのためにどんなことをしたか、それは「全国標準テスト」を行ったということだった。
(日本でも行われはじめていることが気になるが。。。)
この全国標準テスト、評価項目は「英語」と「数学」であるが、それ以上に特徴的だったのは、標準テストの結果で、学校・教師・校長の評価を行ったのだ。
実際にこの評価がどのように働くかというと、教師の昇給や校長の仕事に直接関係してくる。それが「学校の説明責任を果たす」ことであり、「学力の格差をなくす特効薬」であると考えられていた。
しかし、残念なことに、施行から10年たった今現在に至っても、NCLBによる効果は、はっきりしていない。
学校の選択肢の拡大、チャータースクールの設立、教師の質の向上など、NCLBは他の面では成功したようだが、本書では割愛する(格差解消を取り上げる)。
(本文より引用)
影を落とす測定執着
まず、教師は自らが評価される「全国標準テスト」のための「対策」を多く行うようになった。どういうことかというと、評価される「英語」と「数学」により多くの時間を費やすようになり、逆にその他の芸術や音楽、体育、歴史などの科目を疎かにしてしまった。
テストは対策をすれば点数を簡単に上げることができる。よってテスト対策のみが行われ、本質的な「英語」や「数学」などの認知的能力が軽視された。
HBOの連続ドラマ『ザ・ワイヤー』では、授業の大半がテストの練習に費やされていた。生徒にとっては、まったくなんの刺激にもならない。英語のテストでは短い文章に対して選択肢や短い回答で答えるため、生徒は長文を読んだり長い作文を書いたりするのがどんどん下手になっていく。
(本文より)
上の喩え話はドラマの話かもしれないが、実際にも有り得る話だ。
「上澄みすくいによる改ざん」を行う教師たち
上澄みすくい、とは評価の平均値を上げるために評価の低いものを切り捨てることだ。
このことはこの全国標準テストによって学校の評価を改ざんするために行われたことだ。
どういうことかというと、
学力の低い生徒を「障害者」として再分類して、評価対象から排除した。
のだった。
そしてなくならない学力格差
これらの法律によって、格差解消工場になってしまった学校。
しかし、格差を解消することにはなかなかつながらない。
生徒の成績はどちらかといえば、全国標準テストによって計測されるような、「英語」や「数学」のような認知スキルを高めていくよりも
好奇心や自己管理力といった「非認知スキル」の方が必要であることがわかっている。
さらに、そういった「非認知スキル」は中上流階級の子どもたちに高く、そうでない子どもたちは低いという研究成果がある。
これに関して、政治科学者エドワード・バンフィールドのことばが引用されている。
「すべての教育は中・上流階級の子どもをひいきする。中・上流階級でいるということは、とりわけ教育しやすい資質を持っているということだからだ。」
(本文より)
NCLBは、格差解消に効果を発揮することができていない。それは測定執着の耐え難い誘惑と、上澄みすくいによる不正、そして
「計測すべき情報を計測できていない」
という大前提を誤ってしまっているからだった。
数値による評価は、人類にはまだ難しすぎるのかもしれない。