見出し画像

共に居る事。ともでいる事。



ずっと書きたかった




「共に居る」



に関する気づきについて。


触りについては先日のnoteに記させて頂いた。

トレーニング中のあの感覚が濃い内に記しておかなければ…
と書き始めると「あれ?なんか出てこない笑」

本当に記憶とは恐ろしいもので、鮮度が恐ろしく短い。少しずつあの感覚を思い出しながら記していこうと思う。



そうそう、上に貼り付けたnoteで
「『共に居る事』はクライアントに"勇気"や"安心感"を与える」と書いた。
そして今回はというか、個人的に取り上げたいのは『勇気を与える』という事。

これはクライアント体験の時に私自身が感じた事だが
コーチが
「一緒に居るから」「ここに居るから」「ずっと居るから」
と声を掛けてくれると、とてつもなく安心する。これは言われてみると直ぐに分かると思う。

そしてその後に湧いてくるのが『勇気』

人はどうしても未知のものに触れる事は怖い生き物だと思う。それはきっと本能的に。
だから、自分が感じたことの無い感情や見たことのない自分の一面を知る事はある種の恐怖を伴うものだと思う。(それがポジティブなものであろうとネガティブなものであろうと。)

だから『勇気』が必要になる。
これは決してコーチングにおいてだけの話ではないと思う。普段何かを決断したり行動する時もある一定の勇気を要するはずだ。

私はこの『勇気』を与えるためにコーチングをする。

と言いながらも、今までは「勇気を与える」という事がぼんやりとしていた。意識としては強いのだが、実際の関わり方や行為としてのイメージが薄かった様に思う。

そこで今回の『共に居る』という事が、私に大きな気づきを与えてくれた。
つまりは、



「『共に居る事』は『勇気を与える』こと」



なのでは無いかという仮説が生まれたのだ。

これはかなり自分の感覚としてしっくりきていて、8割は納得しているのだが残りの2割はやはり実践をしていく中で確固としたものにしていきたいという思いがある。


これは私の人生の目的の宣言文

「人に勇気を与える焚き火になる」

が、大きく変化していきそうな予感を生んだ。

焚き火のように優しく近づいた人を暖め、身体が暖まれば旅立っていく。旅人がふと一息ついてそっとその炎に勇気をもらい、また旅立っていく。
そんな存在になりたいと思い、数ヶ月前にこの宣言文を作った。なかなか気に入っていたが、「勇気を与える」の特に「与える」というところに少し違和感を感じて始めたのと、「焚き火」という言葉もなんだか少しカッコつけてしまった感がしていた。



そして今回さらにしっくりくる宣言文が思いついた。先に書いてしまおうと思う。

「人々と共に居る影になる」

だ。

そのまんま「共に居る」という言葉は入れた。私の大切にしている事で「今を生きる」という事があるが、共に居るというのはそうゆう"今"という時間感覚も含んでいるように感じるのだ。だからそのまま使った。



そしてもう一つ大切なのが「影」だ。

光がある所では人にも物にも必ず影ができる。私は焚き火のように暖めたり焚き付けたりするようなパワフルさよりも、いつも側に居るが存在を気にする事は少ない影になりたかった。黒子の様に。
私の影に対するイメージは「自分の姿を写すもの」だったり「そっと必要な時に支える」ような感じである。
「かげながらに…」という感覚が自分に合うのだ。そして勇気を与えるという前面的な姿勢ではなく、クライアントからすると「気がついたら変化していた。あれはなんだったんだろう。けど一歩踏み出せそうな気がする。」といったいった感じで、究極的には私(コーチ)の存在はなくなっていい。影だから。
というかそもそも影って共に居るよねと思った。当たり前でうっすらとした存在でいたい。

影と言いながらも、「ともさんのおかげです」とは言われたく無い。だって皆んな"自分の力で"変われるはずだから。


黒子の様に存在を消す。だけどしっかり共に居続ける影。
それが私の理想像。

そしてこれはもう一つ大切な気付きの
信じる』
に繋がっていくのです。


今日のタイトルですが、



共に居ると意識する事は、"とも"(理想の自分)になる事に繋がる。



という事になるようです。(ちょっと上手くないですか?笑)

あ、ちなみに私の"とも"の漢字は"共"では無いのですけどね…笑
まあ小さい事は置いておきましょう〜






いいなと思ったら応援しよう!

とも
ともですっ、最後までご覧頂き本当にありがとうございます^^