悪い物と捉えていた、怒りのエネルギー。
上辺だけの人付き合い。
本心をぶつけ合わない馴れ合いの関係。
本来の目的を無視した風習や風土。
短い間ではあったけれど、会社組織に属して感じた自分が『怒り』を感じ、向き合い続けたポイントだ。
「感情的になるな」「大人の対応をしなさい」「自分を捨てる事も大切だ」
社会人になって何度も浴びせられた言葉達。いつも僕は違和感を感じ、首を傾げ、時に反発した。
本当の意味で『何か』を創造したり達成するための組織や人間関係だとすれば、それらの言葉や教え、または社内の風土は非常に不潔であり不純なものだと思った。
決して誰も自分を殺す事なく、かつ互いを尊重し合いながら自分をぶつけ合う。曝け出す。
そこに新たな発見と、前へと進むエネルギーが生まれる。
だから誰か一人でも自分を殺し、その教訓をあたかも正義だと言わんばかりに、当たり前に振りかざし伝授し始めたら終わりなのだ。
細胞の進化や再生と言った循環が何も無くなってしまう。寿命とともに朽ちるのを待つだけだ。化粧水やボディクリームを塗ったくったってそんなのは表面上の話だ。
自分たちの組織やパフォーマンスの低下が目に見えるのにも関わらず、互いにぶつかり合い細胞を循環させないその不純で不潔な空気に本当に怒りを感じた。そして言動としても表現した。
誰かを傷付けたい訳でも無い。認めて欲しい訳でも無い。注目を浴びたい訳でも無い。
ただただ自分の肺に、気付くとマッタリと流れ込む不純な空気を吐き出したかった。染まりたくなかった。そしてそのサービスを受ける側の人間を思い浮かべると行動に移さざるを得なかった。
自分に対してだけは清潔でいたかった。
今までは『怒り』をあらわにする事は全て悪だとすら捉えていた。けど最近は違う感覚がある。
怒りのエネルギーをただただ誰かにぶつけるのはマスターベーションだ。
しかし何と言えばいいか、不純物を取り除き、自分の純粋なエネルギーとして放出する『怒り』は違う。何より自分の『生命』を奮い立たせるカンフル剤となる。
濁りかけた自分の輝きを取り戻してくれるような気さえする。
だからこれからもっと丁寧に丁寧に『怒り』を扱い、素晴らしく純粋なエネルギーに変換できるようにしたいと強く感じたし、それだけで新卒入社した会社を解雇された意味は十分に得たように思える。
怒りとはもっと上手く手を組む事が大切なようだ。