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「無色透明の媒介」 ──ASIBA1・2期を終えて目指す姿

建築都市社会実装スタジオASIBAのインキュベーションプログラム第1期(2023/10-11)、さらにそのまま第2期(2024/04-07)に参加した。
プログラムを通して、建築設備データを用いて都市のエネルギー削減や設備メンテナンスの人員不足などの課題に都市スケールで挑戦する「Withvac」というプロジェクトに、代表の宮田さん(東大修士1年)と協働で取り組んだ。

▼ASIBAインキュベーションプログラムについて(ASIBA公式noteより)

第1期では全体的な事業フレームを構想し、その後さらにブラッシュアップを重ねて、第2期では一度問いを立てる原点に立ち返り、描くビジョンの強度をさらに上げたような形になったと思う。Withvacに取り組む中で、自分の中でも環境・設備分野に対する考え方は大きく変化した。

ここではASIBA FES 2024を簡単に振り返りつつ、Withvacは今後何を目指すのかを改めて明確にした上で、自分の内省的な部分に焦点を当てていきたい。

それと、自分は……ASIBAに対する愛が止まらないのだ。ASIBAほどずっとここにいたいと思えるコミュニティは存在しない。なぜ自分がいつも「ASIBA」Tシャツを着るほどに、ノートPCに「ASIBA」ステッカーを貼りまくるほどにASIBAが好きなのか、この理由は最後の辺りで明らかにしている。


ASIBA FES 2024を振り返る

2024/07/06(土)に清水建設NOVAREで開催されたASIBA FES 2024「そのまなざしは『イマ』を超えるか」。
宮田さんがファイナルピッチでWithvacに対する情熱と未来を語り、1期よりもさらに来場者の目を惹きつける展示ブースを企画・設計してくれた一方で、自分は主に以下の2つを作り上げた。

まず1つ目はZINEの製作である。なぜWIthvacに取り組むのか、根底にある自身の哲学は何なのかを明らかにした上で、Withvacが描くこれからのビジョンを精緻に語った。これは今自分たちが持つもの全てを一旦言語化するための機会を設けるためでもあった。
合計70部印刷したZINEを当日来場者の方々に配布した。近くで展示設営をしていた2期PJ・sukimaのreActのメンバーにZINEを絶賛してもらえたのは本当に嬉しかった。

ZINEの表紙
pp.06-07〈HISTORY〉
Withvacのこれまでの歩みをダイジェストで紹介している。

そして2つ目は、パネル企画「ワクワクはどこまでデザインできるか?」の企画・開催である。これまでに建築設備の新たなあり方を追求し、一つの仮説として設備の冗長な側面や全く別の見せ方の可能性を示してきた。その中で直面した、企画タイトルにもある問いの答えとなり得るものを探る企画であった。また自分たちと同じく、環境問題の解決という一つの目的にとどまらない「コンポスト」の付加価値を見出す2期PJ・はみラボの臼井君と共に企画を進めた。
ゲストには「ちっちゃい辻堂」の地主・石井光さんとデザイナー・エンジニアの近藤謙汰さん(ちっちゃい辻堂の住人)を迎えて、ちっちゃい辻堂での取り組み事例を紹介していきながら、多くの人が共感し生み出せるワクワクの文化について考える時間となった。

PANEL2「ワクワクはどこまでデザインできるか?」開催の様子
2期PJ・nocotuguの川北君に撮影してもらった写真
(僕が司会進行を務めている様子です。)

環境問題にクリエイティブなアプローチを試みる方法についての議論を入り口としながら、最終的には「そもそもワクワクとは何なのか?」を来場者の方々とインタラクティブに交流しながら考えた。ワクワクとは意図的に生み出せるものではなく、モノ自体を変化させただけではあまり持続しない。もっと人を巻き込んでワクワクを文化として形成させていく必要があるのではないか、というのが一つの結論として挙げられた。抽象度の高いテーマでありながらも、ちっちゃい辻堂での事例を紹介していただきながら議論を進めたことで、有意義なパネル企画になったと思う。
改めて、建築設備はどう変えられるのだろうか?企画を終えて、さらなる言語化のために議論していきたい。

本企画当日の様子や詳細については現在文字起こしなどをしながらまとめている段階で、別の場所で報告する予定です。

***

FESでは17個の2期生プロジェクトが登壇・出展していたが、どのプロジェクトも純粋に面白く、多角的な切り口で展開されていた。特筆すべきはピッチのクオリティである。アーカイブ動画も全て見返したが、心を動かされるものばかりだった。今回自分はピッチに登壇しなかったので、自分もあの大舞台に立ちたかったという思いが残っている。

以下のASIBA公式マガジンには、2期生の各プロジェクトに関する紹介に加えて、プログラム・FESを終えたそれぞれの感想が綴られているので是非読んでみて欲しいです!

「無色透明の媒介」

FESのクロージングにて、代表理事の二瓶さんは「建築業界の今繋がっていない様々な主体を繋げるような無色透明のプラットフォームとしてASIBAが存在する世界を目指す」と語っていた。ASIBAは本当に建築業界のあり方を変えてしまうのかもしれない。そう予感させる二瓶さんの言葉を聴いて、より一層身が引き締まる感覚だった。

Withvacも同じように、新たなもの同士を繋ぐプラットフォームとしての存在を目指していきたい。それは、以下の2つで実現されると今は考えている。

◯ 都市スケールで各建物の建築設備データを収集するデータプラットフォームを構築する
→→データ収集の部分をはじめとして構築に向けた障壁は大きすぎるが、これによって各建物のオーナー同士がエネルギー削減という共通の目標に向けて連携する未来が実現するのではないかという仮説がある。まだ解像度は低いが、自分はこれを何としてでも実現させたい。

◯ Withvacが建築設備の未来を描き続ける
→→既存の建築設備が目指すべき目標は果たしてエネルギーの削減・運用最適化だけなのか?という問いから自分たちは別の切り口で建築設備と向き合い始めた。スマート化をひたすらに目指す社会は、人間と設備の関係をさらに断絶させてしまう。新たな設備、ツールのあり方を考える企業同士の連携を創出させたり、別分野との共創を促進させたりすることはできないだろうか。

FES後には組織設計事務所の方と「環境配慮の動きを促す行動変容アプリ」の実用性を向上させる方法についての意見交換をさせていただく機会があった。そこではWithvacが現時点で考えているアイデアを共有した。FES直前に投稿したこちらの記事でも自身のアイデアを説明しているが、いくつかの指摘も挙げられた。

それは、自分たちの提案はどれも建築設備を身近な存在にすることを目指しているもので、あまりにも入り口の議論でしかないことである。実際のビジネスにおいて、エンドユーザーにまで価値を届けられる仕組みをデザインできるのだろうか。まだまだその部分に至るまでのプロセスを設計できていない。
「学生のアイデアを共有させていただきます」のようなフレーズを抱えて企業の方と関わることはどこか後ろめたさがあるが、Withvacはこれからもっと企業の方々と連携していきたい。そもそも学生というフレームなど引っ提げる必要もない。自分たちができること、すべきことをもっと考えていきたい。その目的をもっと明確にするために、思考の深度を高めるために、これから毎週、宮田さんとの1on1を始めることにした。

(少し脱線してしまったが、)結局、色々な企業の方と話していて考えるのは、各プレイヤーや各技術を繋ぎ合わせる役割を果たしていく組織がもっと必要であるということで、膨大なデータを扱う環境・設備の分野では尚更だ。その時に、無色透明な存在で、それぞれを媒介する機能をもっと業界全体で働かせる必要があるのではないか。

5合目に到達したその後

「建築設備のデータプラットフォームを作りたい」、「設備は僕たちの日常から隠されている。設備をもっと面白いものにしたい」と溢れんばかりの思いをZINEでも語ったわけだが、果たして自分は本当の本当にそう思っているのだろうか。
なぜ設備なのか?なぜ建築なのか?なぜ環境問題なのか?とにかく問いを突き詰められたときに果たして自分は答えられるのだろうか。

そもそも自分について、
・兵庫県の自然豊かな地元で生まれ育ったので、自然の空間に包容されながら、情報と消費の波で溢れかえる都市に対する疑問を抱く。多分この辺りの感性が周りの人たちよりも鋭い。
・大工だった祖父の影響を受けて明石高専建築学科に入学して、高1の頃から建築を学んでいる。大学でも建築学科を選んだ。
・2022.05〜2023.02辺りの時期は環境問題・気候変動に取り組む団体に複数所属して、時には色々と闇を見るという経験をした。
・・・
といった自分のバックグラウンド、そこから派生して自分のアイデンティティになり得るものを無理矢理全て生かすかのように、登山ルートでもう5合目まで到達してしまったからこのまま登るしかない、今さら下山する覚悟などできていないというようにある種の呪縛に縛られているかのように生きてきたところがある。

Why me?なぜ自分がやるのか?と問いかけられたときに何と答えられるだろうか。それを他の人たちにも訊きたい。「好きだから」とか「これが自分のエゴだから」は答えになっているのだろうか。誰もが確信を持ってその問いに答えられるだろうか。
本当は皆その問いから目を背けているのではないか。他人から問いを突き詰められたとき、あるいはうまくいかなかったときにその問いに直面すると気分が病んでしまう。だからそのときは目を瞑って一旦無かったことにする…。

ASIBA2期のメンバー数人に尋ねてみると……どうやらその通りらしい。誰でもその問いを向けられることには避けたくなってしまう。

でも、相手に説明できなかったとしても、仮にそれを否定されたとしても、それでもやりたいという思いが変わらないのであればそれで良いのではないか。むしろそう思えることが真価なのではないか。

メンター班振り返り会にて

自分の中でそれに取り組む納得感、理由が無いと手も足も動かせなくなり、頭で考えすぎてしまう自分には絶対にこんなことは言えなかったし気づけなかった。説明できないけどそれが好きだと言える自信が自分には無い。設備や建築に対しても、それ以外に対してもである。そんな好奇心が必要不可欠なのかはさておき、それでも自分が人生の時間をかけて向き合いたいものを定期的に再確認することが必要な気がしている。

環境・建築分野の5合目まで登ってきた自分は、今一度立ち止まる必要がある。仮説を塗り替えるためにも、内省を深掘りして新たな確信を得るためにも、あるいは5合目で下りて新たな景色をみるための覚悟をするためにも。

これは、自分自身への呪縛と向き合うための問いである。

問い:自分はどういう人間になりたいのか

多分、「なぜ自分がやるのか?」よりも「どういう人間になりたいのか?」という中長期的な目標を常に見据えることが必要で、それが根底に無いと自分自身も成長できないし、自分も人も納得しない気がする。それは、次世代の地球環境の悪化に見て見ぬふりをする人になりたくないからとか、誰もやってないことをやる人になりたいから、恩を返す人になりたいから、身近に困っている人を助ける人になりたいからとか何でも良いからとにかく目標の解像度を上げることである。

これが好きとか、こんな課題を解決したいから、だけで必ずしも人を動かせるとは限らない。「自分はこうなりたいんです」、「この世界をこう見ているからこんな決断をしたんです」という思いが一番人も、自分も動かせるのではないか。
ASIBAを通して自分たちを客観的に見てみたり、他のプロジェクトを動かす仲間と言葉を交わす中で、何となくこう考えた。

***

自分がASIBA1・2期を通して学び、考えたことは次の通り。

  1. 与えられた問いに対してどう答えるか、ではなく自ら問いを社会に投げかけ、それに対して自分が答える。ASIBAの中ではこれを「自作自演」と呼んでいるが、とにかく問いの質を上げるということ。

  2. 言語化力の重要性。テキスト以外にも表現可能性は多岐にわたるが、自分の思考の深度をさらに高めるために、人に説明するために、長期スパンで未来を描き続けるために、言語化力は重要である。自分の脳内にあるものを全て、頭がはち切れるまで言語化する。(これからもっとnote書いていきます。)

  3. 今自分たちが生きる社会に対して絶望することは簡単なことであり、そして正義感を持つことも簡単。でも今の社会に満足できず、何かを変えたいのであれば、自分でものを作るしかない。自分の言葉で文章を書くしかない。

  4. 社会を変える主人公は自分だけではないということ。それ自体は当然だと思われるかもしれないが、そのときに建築やアートの文化的価値が様々な主人公・協力する人を繋ぎ合わせる可能性を秘めていること。

  5. 建築学は難しすぎるあまり、建築を武器にする人間の偏差値は自然と上がってしまい、その結果大人から与えられた道は今のところ数ルートのみ。だからこそ自ら茨の道を歩む、つまりもっと馬鹿になる

4.についてさらに振り返る。ぼんやり考えていたこのことが自分の中でも言語化されたのは、2期のFESを終えた2週間後の振り返り会(第9回)のときだった。

後輩とかと話していると...もっと純粋にフラットに好奇心で動いていいなと思うようになったこと。生きることに必死すぎて上に上に、年上にも負けないでやるぞー、俺の作家性を!の側面の自分だけじゃなくて、横の連帯や下の世代を引き上げる、人を生かす、才能を伸ばすみたいな公共的役割を担うことにとてもポジティブになった。自分だけじゃない、人を通して社会や世の中へのインパクトを考えるようになったなあと思う。独りよがりではなくなった

ASIBA理事・森原さんの言葉

ASIBAは自分たちの思い描く未来を実現させるための足場だけでなく、仲間が思い描く未来に、建築・都市のクリエイティビティを共通言語として共感し、共に未来を創り上げるための足場でもあると思う。同じASIBAのプロジェクトとして、毎日夜中までDiscordの通話で壁打ちが繰り広げられていたし、FESの展示企画ではプロジェクト同士がコラボすることで、新たな価値が生み出されていた。

自分と異なる場所で描かれる別の未来には共感を示すことで精一杯だ。しかしASIBAの中では緩やかな関係性が生まれていて、色が混ざり合うこともあれば、無色透明色が別の色に少しだけでも協力することもある。

地球と共存するために建築設備の多面的アプローチを仕掛ける自分は、緑と少しの灰色に染まっている。それだけでなく無色透明な一面も持ち合わせたい。目指すのは全能感に染まった虹色ではなく、無色透明に他者を支える存在である

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2023年の自分はほとんどの時間を鬱として過ごしていた。これまでで最も屈辱的な出来事があったり、身の回りの希薄な人間関係に呆れたり、あとは不安定な社会情勢はそのまま自分の心も不安定にさせていたように思う。「人との良くない接し方も多かったな……」と振り返る。

自分自身に失望すると同時に、他の人たちが思い描く未来にも次第に興味を失くしていたのが正直なところである。なぜなら「そうなんですね、面白いですね」としか言うことができないからである。ASIBAのようなコミュニティが無ければ、その人をサポートする手段としても基本的にはクラウドファンディングや知り合いの紹介などしか思いつかない。次第に他者の描く未来に興味を無くしていくのは必然ではないのかとすら思っていた。

今の社会や自分と気の合わない人間に絶望するのは簡単なことである。
でも絶望の前に、まずは自分と仲間で何かを作り上げて、その存在価値を証明する。
絶望から生じる正義感をひたすら抱えても何も変えられないのだ。


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