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「人間になりたい」 Part1

全20話予定。原稿用紙148枚の中編小説です。
できるだけ多くの方に読んでいただきたいと思い、掲載しました。

ぜひ読んでみてください。


***


それでも、あきらめず、「通路」を見出しつづけることが大切。いや、大切とすら本当は思っていない。

「至るところで心を集めよ立っていよ」清野賀子


1


よくわからない傷を抱えないまま生きていける人なんて、この世に存在するんだろうか。電車のつり革につかまりながら、そう考える。

「普通、そんなこと考えないよ」

会社の同僚のチエミに今日言われた言葉だ。

「ほんと、みちるって変わってるよね」

困った笑顔を浮かべながら、彼女はつづけた。

不思議とその言葉に、忘れることのできない何かを感じた。似たような感覚が、幼い頃にもあった。


小学生の頃、お遊戯会の王子様役とお姫様役を誰がするか、クラスで話し合っているときだった。

王子様の役は、名前も顔もたいして印象に残らない地味な男の子がやることになっていて、そうなった理由も、ただじゃんけんで決まったという極めて単純なもので、俺だ俺だと自己主張ばかりが激しい男の子たちを黙らせるために、担任の女の先生が考えた策だった。

しかし女の子たちとなると話はそう単純でなく、お姫様の可愛い服を着たい、けれど、こんなイケてない王子様と一緒になるのは嫌だ。しかもみんなの目の前で。といった複雑な空気が場を支配していて、誰がお姫様の役をするか決めかねていた。

先生もそこの機微は敏感に察知していたものの、さすがにシビレを切らしてか「お姫様の役やりたいひと…本当にいないの?」と少し厳しい口調で聞いていた。

さっさときめろよー、もーだれでもいいじゃーん、と男の子たちも文句を飛ばしており、先生も「そんなこと言わないの」となだめていたが、女の子たちに至ってはこの際犠牲者を差し出してことなきを得ようという風向きになっていた。

そんなとき、矛先が私に向いた。

「みちるちゃんがいいとおもいまーす」

それを言ったのは、ゆりえちゃんというわりかし派手な女の子だった。私はただぼーっとことの成り行きを眺めていただけに、ゆりえちゃんの言葉にハッと我に返されてしまったが、ゆりちゃんがやればー。なんて言えるような反射神経は持っていなかった。

「だって、みちるちゃんかわいいじゃん」という彼女の言葉に、確かにこの状況だったら私が妥当だろうという空気ができあがっていた。

「せんせー、みちるちゃんでいいでしょー?」と、完全に主導権を握った彼女は、早速自分の提案を実現させようと先生に交渉を初めていた。

「そっかー。みちるちゃんはそれで大丈夫かな?お姫様役、絶対に似合うと思うし可愛いと思うよ」と、先生は私に声をかけてくれたものの、どちらかといえばここで私に「はい」と言ってほしいという表情をしていた。

それに対して私は、こんなことを言った。

「わたし、きのやくがいいです」

「•••き?」先生は戸惑いながら聞いた。

「き」と私はつづけていたと思う。

「きって、あの、木のことよね•••?」と、先生は聞いた。私はこくりとただ黙って頷いた。

もう、きでもなんでもいいじゃーん、まだおわんねーのー、だりぃーと言った男の子達のやじや、女の子達のざわめきを余所に、私は自分の主張を、特に変なこととも思わず素直にみんなの前で示していた。

実際、木の役は魅力的に思えたのだ。じっと立っていることは苦じゃなかったし、何よりもその立ち振る舞いや、花を咲かせたときの姿はとても綺麗だと思っていた。

そのとき先生も、私の意志を感じ取ってくれたのか、「そっか、みちるちゃんは木がいいのか…先生も、いいと思うよ」と言ってくれた。私は嬉しくて、ただニコニコと笑顔を見せていたように思う。

結局、お姫様役は言い出しっぺのゆりえちゃんがやることとなり、その日の話し合いは終了した。

そして帰りの時間、先生とさようならの挨拶をするとき、ランドセルを背負う私に、先生はしゃがみながら、そして微笑みながら、こう言った。

「みちるちゃんって、おもしろいね」

なにがそんなにおもしろかったのだろうと不思議ではあったけれど、嫌な気持ちはしなかった。

教室の外で待っていた3つ上の姉が何かおもしろいことでも言ったの?と私に聞いてきたけれど、私はただうーんと首をかしげるだけだった。

おもしろいねと言ってくれた先生の顔や口調、そして台詞も、今日のチエミにどこか似ていた。そして先生の姿とチエミの言葉に私は、何か心の拠り所と言ったようなもの、船をもやうための杭を見つけたような感覚を抱くのだった。そしてそれは、とても心強いものに感じるのだった。

***

第2話につづく

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