1週間メモ #1
これはこの1週間で自分が気になったこと、思いついたことを書き残す備忘録メモです。
が、何かのきっかけ、誰かのお役に立てれば幸いです。
20200725
お金で買えない価値あるものはこの世にたくさんある
・体の機能全て
・生まれた奇跡
・家族
・友情
・パートナーと愛
・etc...
20200726
人間の処理とAIの処理
人間の処理にはまだまだムダムリムラがあり、結果には非合理的な部分が多く残る。ビッグデータとそれを処理するAIによって、ムダムリムラを一切排除し、全てがどの角度から見ても合理的な最適解を出せるようになれば、就職、適材適所、能力、人事、営業、生産、全ての最適解を示してくれる。
全てが最適になれば、それが究極のスマート。
もし自分がブッダだったらどうするか
何かが起きた時に、すぐに反射的に反応してしまうとそれは「自分」の反映に過ぎない。例えば反応する前に「もしブッダだったらどうするか」と考えて反応すると、よりブッダに近い行動ができるかもしれない。ブッダに限らず、自分の理想とする人だったらどうするだろうか、と1拍置いて考えてから行動してみるのも面白いかもしれない。反射的行動を抑制できるようになれば、怒りに身を任せて行動することもなくなる。
20200727
一度きりの人生
言葉は人によって響きが変わる。
例えば、「2度とこの人生を渡ることができない」「この瞬間は2度とやってくることはない」「人生二度なし」
どれも全て同じことを意味しているが、聞き手の受け取り方によってニュアンスは変わる。自分に響く言葉に置き換えて心に留めておくことも重要だ。
一度きりの人生 パート2
ゲームやビデオをよく使うようになって、リアルの人生において、一時停止や保存、巻き戻し、生き返る呪文、が使えると頭のどこかで思っていないだろうか。人生はリハーサルなしのぶっつけ本番
自分の言動には注意する
自分は自分一人で生きているわけではない。自分の言動は常に他人に伝搬するということを忘れてはならない。
例えば、ちょっとイラつくことがあって、そのままコンビニでお会計をする時に悪い態度をとってしまったとする。するとコンビニ店員はそれを受け取って今日は最悪な日だと思う。駅でムシャクシャして前からくる人に肩をぶつけてしまうかもしれない。ぶつけられた人はその理不尽さに腹を立てて、家に帰ってから家族に八つ当たりするかもしれない。八つ当たりされた家族は落ち込んで、、、。
自分一人の行動でこれだけ多くの人々に何かを伝搬させてしまう。だから言動には注意を払うべきである。
20200728
外資企業が遊びを社内に取り入れている理由
組織が円滑に進むためには、そこで働く人々がお互いに信頼しあっていることが重要になる。外資企業がよく社内に「遊び」を持たせているのは、決して休憩を多く取れるようにするわけでも、面白い広告になるという理由でもない。遊びで息抜きした時に社員同士のコミュニティが生まれる。そうして、他部所間でもコミュニティが生まれ、信頼が蓄積していけば、後々仕事をスムーズに進められるようになる。いわば信頼は組織においての潤滑油であり、それを促すツールが「遊び」なのだ。
アメリカ人はより危険に近いところで生きている。
アメリカは先進国、GDP世界一位で「とても良い国」の印象があるかもしれない。が、例えば社会福祉のレベルは世界的に見ても低い。これは国民が「危険から守られている」と認識しにくい環境だということ。となると人は救いを求めたい生き物なので、宗教に、神に救いを求める。よって信仰が強くなるのかもしれない。
A Iと保険料
今後、AIが保険料などの最適解を導いてくれれば、もしかしたら個人の保険料は安く抑えられるかもしれない。企業も同じ。そうすればもっと加入者が増えるかもしれない。AIは人間の仕事をさらに効率よく、生産性高く、最適にこなしてくれることで、企業と個人のウィンウィンを生み出す可能性がある。
20200729
アートと偉大なアート
アートと偉大なアートの違いは、そこに魂が込められているか、生命を宿しているか、の違いのように思う。
アートは生まれたばかりの赤ん坊からご老人まで、誰でも作ることができる。ただ、全てが偉大なアートになるわけではない。大勢の人々を魅了するアートというのは、作品の中に魂がこもっている。みる人間はその魂に心が触れることで、ただのアートからは受けることのできないインスピレーションを受け取ることができるのではないだろうか。
そう考えると、魂を、生命を作品に吹き込む作り手自身も、そのことをよく考えて、自分の魂についてもっと研究するべきか。
20200730
有限と無限
幸福、愛、美、に限界はない。
時間やエネルギーには限界がある。
目標
例えば時間をかけて何か目標を設定する。次の日に見返して修正する。数日してまた考え直す。目標までのルートを修正したほうが良いか、目標自体変えたほうが良いか。そうやって、ずっと目標をこねくり回すだけで、何の行動もしなかったら、結局どこにも到達することはない。
仕事と指示
仕事をよく自分でやってしまう人がいる。それは、指示する時間、指示内容を説明する時間を大幅に短縮できるし、誰よりも自分自身の能力について自分が一番知っている(指示した場合、相手の能力を知っている必要がある)、途中で何か変更などあった場合やホウレンソウの手間も不要になる。だから自分でやってしまう。でもそれだと後が続かない。後が続かないと、結局いつか破滅する。その時になって、仕事を振って教育をしておけば良かったと思い直してももう手遅れだ。
頑張ること
頑張るという言葉は、どこか忍耐や努力、根性といった言葉とつながって認識されている気がする。努力や根性は抽象的で、具体性を何も持っていないから、目標に落とし込めない→結局頑張れない行動につながり、頑張れない結果しか生まない。それよりももっと具体的に何をして、どこに到達するのかを見る、見せたほうが良い。
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