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まだ君は世界を創れる その2 あり得ない宮崎での起業

「いや、宮崎とか有り得ないし」

僕は、埼玉で株式会社を立ち上げて2年目。急遽、家族の都合で九州に行くことに。友人に弁理士業として、宮崎でやっていけるか相談したところであった。続けて彼は言った。

「しかも、宮崎で活躍している今の先生は、政治家のOOとも仲良いらしく、コギちゃんが仕事取るの難しいと思うな」

この年、僕は弁理士に合格し、初めて弁理士としてひとり立ちする年でした。どこで独立するか。当時住んでいた埼玉県の主な登録弁理指数が300名近くに対して、宮崎県の主な登録弁理士数は、5名。この数字だけ見ると、それだけ宮崎のような地方には弁理士の仕事がない、と思ってしまう数字の差だ。弁理士の仕事は特許を出願するような研究機関を有する企業がある土地に仕事は偏ると言われている。

このときの僕は、弁理士取得という目標を達成し、何か次に向かう先を探していた。幸い大学院に合格し、経歴に傷がある「中退」の穴埋めが進学でできるかなと考えているところであった。どうやって、九州に行くというこの状況を乗り切るか・・。

「いや、関東にいて大学院へ行ったって、他の人と同じだ。履歴書がきれいになることに意味があるのかな。それより、ガチンコで、中小企業の社長さんと話ができる地方に出てみるのは、大きな経験ではないか」

そんな夢みたいなことを、自分に言い聞かせて、というか、そんな理由付けで自分をうまく納得させて、宮崎に引っ越した。

宮崎の生活は最高だった。飯がうまくて安い。犬の散歩は映画のように海辺で走り回れる。バラはほっぽらかしでも大きな花を咲かせる。
宮崎は楽園なのだ。

僕は、東京に月1,2回訪問して、弁理士業をせっせとこなした。でも、慣れない宮崎県で営業ができない。

あんなに格好つけて「社長さんとガチンコで議論して!」なんて言っていたのに、人に頭を下げて営業もできず、怖くて動けない自分がいたのだ。
噂で聞いていた先輩の弁理士に、宮崎で営業をすると怒られるのでは、と勝手に思いこみ、何もできない自分がいた。


宮崎はほっぽらかしていても、バラが大きく咲きます!

僕は小学校の頃から栃木県の日光が好きで、親父によく連れて行ってもらった。日光といえば、杉並木であるが、圧倒的に高い杉が並ぶ杉並木を歩いたときに、僕は感じたことがあった。
そっか。この大きな杉があるから杉並木は綺麗だけど、杉並木の根本に生えている小さな杉の木の芽は、大きくなることができないんだ。大きな杉が芽の日を遮り、栄養分を摂ってしまうから。
ということは、生きていくには、長いものに巻かれていないとなんだな・・・と、子供のときに失望のようなものを勝手に感じていた。

大人になっても、この考えは全く同じで、長いものに巻かれるサラリーマンを続けていた自分であったが、ひょんなことで独立してしまい、しかも、宮崎で芽として、大木である先輩弁理士に負けじと頑張らなくてはいけない自分となってしまった(汗)。

この大木と芽の話であるが、最近、京都大学(髙林先生)で画期的な発見があり、僕の解釈が若干、極端な解釈であることがわかった。植物のコミュニケーションについての研究で、ある植物が葉を虫に食べられてしまうと、その虫に食べられている植物は、隣の植物に「虫が俺の葉を食べられているから、お前も気をつけろ」とコミュニケーションしている様子が写真で確認できたのである。

僕はこの報道を観て、自然界は、僕らが感じているより、ずっと優しい世界なのではないか、と感じた。自分のイメージでは、植物は重なり合って生えている場合、隣の植物がいないほうが、自分が日があたるし、栄養も摂取できるから、相手側に危険を伝えることはないと考えていました。
でも、それは、勝手な人間の認識で、人間の認識が、自然界は利己的であるという勝手なイメージで世界を捉えるから、自然界もそうであると誤解しており、自然界は助け合っていると世界を人間が捉えれば、自然界は実際に優しいのだ。

僕は、宮崎に来て半年たったある日、思い切って、その大木である宮崎の先輩弁理士に粗品を持って挨拶に行った。「新米ですが宜しくお願いします。」と頭を下げることができた。普通の優しい先輩であったが、圧倒的な経歴、学歴、実績等を感じさせられた。
でも、鈍感な自分は、自分なりにやれることがあるのではないかと手応えも、その瞬間に感じた。

そう。懐に入ると、相手の弱さがわかるのだ。

僕の場合は、自分が得意なコンピュータの特許は負けない、という直感であった。

2023年の今、この先輩弁理士はもうこの世にはいない。だいぶ前にお亡くなりになられ、僕もお線香をあげた。しかし、この先生のお陰で、宮崎は知財の教養、支援体制が他県と比べて充実している。いまだに、宮崎県は、県が特許出願費用を助成しており、他県ではない優遇制度があるのだ。僕はその恩恵を被っている。

独立と同時に地方に行って都会むきの商売をするのは他人から見れば自殺行為にみえるでしょう。他人が言うアドバイスや、インターネットに書かれていることは、いかにも、もっともらしいが、自分の人生を決めるのに、それをFINAL ANSWERにして、決定してしまっても後悔はないのでしょうか。世界はアナログであり、デジタルではありません。そんなに単純に世界は解釈できない。ゼロとイチの間に、無限の数字があるのです(0.1,0.11,0.111というふうに無限だよという意味ですね)。画一的に世界を観て、貴方自身が世界をつまらなくしているかもしれません。僕は、結果として、宮崎に来ることで、人生で一番大きなターニングポイントを迎え、あの時に九州に来ていなかったらと思うと怖くなるぐらいです。

また、一見、自分には大きなライバルに見える相手は、実は、その仕事のレベルを全体的に上げてくれる存在である場合もあります。また、勇気を持って、その懐に入れば、あなたは、もうその時点でそのライバルを追い抜いているかもしれません!?

続く

このNOTEは、これから何か自分自身のことで、何かをやりたい!起業したい!副業したい!なにか自分の世界を見つけたい!でも、怖くてできない・・何をやればよいかわからない!と感じている方に、参考になると自分が勝手に思った考え方を書いたものです。

脱サラだけが正しいわけではないですし、自分を見つけることが人生の必須ではありません。しかし、何か自分の世界のために一歩踏み出してみる、というあなたは、結構、格好いいです。

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