弟への懺悔
弟が嫌いだった。
爪をかじる癖が醜い。見ていられない。同じ兄弟なのが恥ずかしい。ランドセルがぼくのものよりも良い機能だから、甘やかされている。
キャッチボールのときは、ゆるいボールしか投げないくせに、人が近くを通りかかると全力で投げようとする。ボールをうまくコントロールできないから、あらぬところへ飛んでいく。学ばない。
カードゲームで対戦しても、僕が勝ったらいじけてしまう。かといって、弟が勝ったらつけあがるから、それも癪だ。弟を叩いたりしたら、もちろんぼくは悪者だ。
僕はスキー大会で賞を取った。そのご褒美として、ゲームを買ってもらった。弟は僕を「ずるい」と言った。すると、弟は何もしてないのにゲームを買ってもらえた。
とにかく、弟のささいな動作や待遇が気に障った。僕の感情は、そんな弟に対して遠慮がなかった。中学生になったころから、まともに会話をした記憶がない。僕が小学5年生くらいになるまでは、仲良しだったはずなのに、どこが境目だったのか。そもそも境目なんてなくて、必要な過程だったのか。
ある日、家族でショッピングモールに行った。8歳の弟が、ケンタッキー・フライド・チキンの店から、笑顔でチキンバレルを持ってきた。食べるのが楽しみで、幸せに満ちた笑顔だった。僕は父と車に乗っていたから、窓越しに弟を見ていた。車に近づいてきたと思ったら、弟が勢いよく転んでしまった。チキンは無残にこぼれた。弟は声を上げて泣いていた。僕は弟の姿が、幸せが一気に悲しみに転じた表情が、かわいそうで仕方がなかった。ぼくは涙をこらえきれなかった。母はチキンバレルを持って、車の中に乗り込んできた。弟は笑顔で車の中に入ってきた。僕はこっそり泣いていた。
さっき弟が転んだ場面は、僕の脳裏に勝手に浮かんできた架空の映像だった。僕の妄想だった。勝手に作った想像なのに、僕は泣いた。悲しくて仕方がなかった。
それから時は流れ、両親は離婚して、弟とほとんど会話をしなかった中学高校時代が去った。僕は弟にずっと冷たく接していた。やっぱり弟が癪だった。小学生の弟が中学生になっても、高校になっても癪だった。反抗期のはずの僕は、母親にはあんまり反抗的な態度を見せなかったが、とにかく弟に対しては常に冷たく接していた。
お互いのことを話したことが、ほとんどない。僕たちは、ゲームの話題くらいしか喋れなかった。弟と僕が、同じゲームにはまっている時期は話をしたが、どちらかがゲームに飽きたらまた冷戦時代が始まった。
弟が大学生になったあたりだろうか。半年に一度くらいのペースで、LINEのやり取りをした。「誕生日おめでとう」のスタンプを送りあう程度の、些細なやり取りだった。地元に帰省しても、弟の帰省するタイミングとすれ違うこともあって、あんまり話ができなかった。
時折、幼いころの弟が転んでしまって悲しみに満ちた姿を思い出す。数か月に一度のペースで、不意に脳裏に浮かぶ映像だ。嫌だったはずの弟が、幸せそうにニコニコしているだけでいいのだ。その幸せそうな表情が、理不尽な運命で悲しみに満ちる瞬間には、とてもじゃないけど耐えられないのだ。
幼い僕は、弟を肯定できなかった。暴力を振るったことなどはなかったが、僕は弟をひとりの人間として、認めることができなかったのだ。弟は、居心地が悪かったろうと思う。母に「勉強を教えてあげて」と頼まれた時も「なんで誰にも教えてもらえなかった僕が弟に教えなきゃいけないんだよ」と言ってしまったこともあった。二人を悲しませた。
今は家族が離れ離れで暮らしている。母は地元、弟は都内、私は東北の地方都市。今までの罪滅ぼしのつもりで、弟には何度か誕生日プレゼントを贈った。でもそんなことは関係なく、僕は弟に誕生日プレゼントを贈った。かつて、愛をもって人と接するだけでよかったのに、それができなかった。
私が社会人になって数年目。弟は大学院生だった。正月、地元に帰ったとき、弟が大学で勉強している話をたくさん聞くことができた。仲間たちと協力してアプリを作って、アイデアを形にしていくのが面白いみたいだ。語っている弟の姿は生き生きしていた。弟が誇らしげにしていても、もう癪だとは感じない。むしろ弟が楽しそうに語ってくれて、嬉しくなった。
愛をもって人と接したいと思う。そのやり方は、僕の少ない引き出しから考えていく。ぼくは、自分自身が作った勝手な想像で弟を不幸にしたのではない。ぼくの今までの態度が、きっと弟を悲しませていたのだと思う。
弟にこの話をしたとすれば「自意識過剰でキモい」とか「馬鹿なのか」とか言われてしまうと思う。幼いのは弟じゃなくて、僕だった。何年もずっと、僕が幼いだけだった。
弟には幸せな笑顔でいてもらいたいと思う。キモイから本人には言わないでおくけど、兄はこっそりとそう思っています。
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