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YS3.7-8 さらにもっとその内側へ

さて、ヨーガ・スートラを有名たらしめる八支則の説明を経て、最後の3つのステップであるサンヤマについての説明が続きます。前回は、そのステップは段階的になされるべきであるということ。さて、今回は。

※前回は、こちらの「YS3.6 焦らない」からどうぞ。


ヨーガ・スートラ第3章7節

त्रयमन्तरङ्गं पूर्वेभ्यः॥७॥
trayam-antarangaṁ pūrvebhyaḥ ॥7॥

The three together are internal in relation to the previous ones. (1)
この3つは、それ以前のものと比べるとより内的である。


八支則の最初のステップであるヤマ・ニヤマについて、インテグラル・ヨーガ[パタンジャリのヨーガ・スートラ](参考2。以下、インテグラル・ヨーガ)は、「ヤマやニヤマを行うためには外的世界が要る」と書いています。たとえば、5つのヤマのひとつめはアヒムサー(非暴力)ですが、「傷つけるべき下界がなかったら、どのようにして「傷つけるなかれ」を実行するのか」という理屈です。自分でない他者がいるから、アクションとしての暴力がある。なるほど。

暴力は、他者ではなく、自分に向かうものもあります。ただ、ここでいう自分は、ヨガが本来の自分であるとするプルシャとは別の、表層にある自分なので、やはりそれは下界を構成するひとつとしてカウントするということで、解釈は間違っていないはず。だから、ついでにいえば、ここでいう下界は、プラクリティということも、ここで確認しておきたい。

そう考えると、「身体でさえあなたにとっては下界であって、アーサナで身体を扱い、プラーナーヤーマでプラーナを扱い、プラティアーハーラで感覚を扱う」とインテグラル・ヨーガが解説しているのも、わりとスムーズに理解できるかと思います。


それに対して、最後の3つのステップ、ダーラナー(集中)、ディアーナ(瞑想)、サマーディ(三味)については、「より"アンタランガ"すなわち”内的”な修行である」とインテグラル・ヨーガは書いています。ここで、プルシャに触れにいく実質的な一歩を踏み出すわけです。この認識があるかどうかは、わりと大きいような気がしますが、いかがでしょうか。

なお、フォーチャプターズ オブ フリーダム(参考1。以下、フォーチャプターズ)は、ここでいう"内側"というのは、より繊細でより微細な世界のことだと解説しています。この解説もまた、まだ知らない世界へのイメージを豊かにするための一つとして、ぜひ覚えておきたいところだなと思います。


ヨーガ・スートラ第3章8節

तदपि बहिरङ्गं निर्बीजस्य॥८॥
tadapi bahiraṅgaṁ nirbījasya ॥8॥

That (three stages or trinity) also is external to nirbeeja samadhi. (1)
その三段階もまた、ニルビージャ・サマーディ(無種子三昧)と比べると、外的なものである。


八支則の最後の3つのステップで、インテグラル・ヨーガがいうところの「内的な修行」が始まると前のスートラで述べた後で、パタンジャリはここでさらに重要なことを述べています。それは、サンヤマによって到達するのはサビ―ジャ・サマーディ(有種子三味)の領域であり、最終段階ではないということ。まだ、続きがあるようです。

だから、ヨガと共に歩む者は、サンヤマを経たとしてもそこで満足するべきではないと書いているのはフォーチャプターズ。そのさらに深いところを目指すべきで、それがニルビージャ・サマーディ(無種子三昧)だと書いています。

これ、すでに第1章の終わりのあたりで説明があったところですが、覚えているでしょうか。

↓ サビ―ジャ・サマーディ(有種子三味)について

↓ ニルビージャ・サマーディ(無種子三昧)について


八支則が示す8つのステップを経ても、ヨガが本当にゴールとするところにたどり着けるわけではないというのは、なんだか後出しじゃんけん感がありませんか。それほどの深い先の先の話で、たどり着く人はとてもとても限られている領域の話だからということなのか。

この第三章を読み終えて、このあたりをどういう気持ちで読み直せるかなあと思います。


この『ヨーガ・スートラを読みたい』というのは、ヨーガ・スートラの1節1節をしつこく細かく見ていこうと思って始めましたが、今回は2節いっきに読んでみました。というのも、ここにきて、それぞれの解説書の解説が、とても短かったり、もはや何もなかったりという領域に入ってきているからです。

実際に読んでいて、今までよりもっともっとお手上げな内容になってきたなあと思います。でも、だからと言って、先人が積み上げてきたものが文章にまとめられて伝えられてきたヨーガ・スートラを、読まないという理由にはならないのではないよなと、わたしは思います。


いまのわたしが、理解できる範囲とまでいかなくても、想像できる範囲のヨガのマップを作っておく。仮だったとしてもそこにマップがあるなら、これから先に学び続けることで、少なくとも更新していく土台ができるということではあるはずです。だったらねえ、やろうじゃないかという話です。そしてわたしは、誰か同じ気持ちの人がいたらいいなあと思っているのが、これを続けている理由のひとつでもあります。

というわけで!まだまだ続く、闇の中に手を差し込んでみるような第三章が続きます。また来週、ここでお待ちしています。

※ 本記事の参考文献はこちらから



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もえ|渡辺朋江
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