埃を被っていたのは私自身だった
こんばんは、ともえです。
未だに1月15日は成人式のイメージが抜けない世代の私です(笑)
しかしなぜ休日はこうもあっと言う間に終わってしまうのでしょうか…
まぁ、休日に絶対何かを成し遂げなければならないと言う義務はないので、あっという間に終わってしまう、その事実を素直に受け止めて残りの時間をじっくりと過ごしたいと思います。
そんな日の受け止め方について、昨日投稿しましたので、読んでいない方はお読み頂けると嬉しいです。
さて、別件なのですが、
先日公開した【片付けをすることは今の自分と向き合うこと】の投稿の中で、
【本当に大切なものは埃を被るでしょうか。
本当に必要なものを埃を被るくらい置きっぱなしにするでしょうか。】
という事を書きました。
今思い返せば、物を片付けないことで正常な判断が出来なくなっており、要不要の判断が全く無く出来ず、もはや自分自身が埃まみれになっていた気がします。
片付けられなかった頃の私は、自分が手に入れた物に囲まれることが最大の幸せだと思っており、手放すことや片付けると言う概念は全くありませんでした。
(ただ一応私なりに掃除はしていたので、ゴミ屋敷と呼べる様な酷さではなかったことは補足しておきます笑)
私は自分のことが好きですが、それでもどこかずっと自信がなかったんだと思います。
物を持っていることで、私はこんなにもたくさんのものを持っている!凄いでしょ!とまるで武器を手に入れたように、鎧を手に入れたように、勘違いしていました。
物を持ってようが持ってなかろうが、私は私であることには変わりはないのに。
物を手放せたことで、大好きだったものたちに別れを告げられたことで、本当の自分に気付けたような気がします。
この先もどんどんすっきりさっぱりとして行くであろう私は、本当に残すべき大切なものだけを、選んで行ける。
持たないことは、いざと言う時に大切なものを抱えられる余裕を持つこと。
物より余裕、生きていれば大切にしたいものは変わります。
いつだって今の自分の心の声に、ちゃんと耳を傾けられる自分でありたいものです。
ここまでお読み頂き、ありがとうございます😊
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?