脱・完璧主義
完璧主義的と自らを称したのが昨日のこと。
そして、今日、
まさに自分自身から完璧を求められそうなイベントが発生したのです。
心機一転、書を再開
小学生の頃から書道を続け、
大学生の頃には一応師範の資格も取ってみたり。
しかし、師範になるも束の間、
社会人になると同時に少しずつ書道とは疎遠に。
気付けば1年以上ちゃんと筆を持って書いてないぞ
このまま何も書かなかったら
素人に毛が生えた程度の字になってしまうのではないだろうか
そんなことを考えていた折、
中学生の頃に書道部で、
そして3年生の頃に担任として大変お世話になった先生と再会。
先生自身も、私とは別の協会で師範をお持ちの方。
ひょんなことからその協会の講習会に体験参加させていただくことになり、
そんなこんなでこの8月を機に心機一転、
新たにその協会に入会することにしたのです。
入会なのか、編入なのか、はたまた転籍なのか
元いたところを辞めたわけでもないから単に入会でよいのだろうか
迷いは生じるもの
習い事はどれも似たようなものな気もするけれど、
書道の場合、
毎月課題が設定され、
それを書き、提出するまでが1セット。
1枚完成させるのに1〜2時間くらいだろうか。
それを4枚ほど。
平均すると全部で6時間くらい。
もちろん作品の出来に拘り始めたらキリがないけれど。
元々はこれだけやるつもりだったのだけど、
やろうと思えば他にも書くものはあって。
しかもそっちをやらないと講習会の旨みが堪能できないようなもので。
けっこう大変だけどどうする?
いま忙しかったらこっちは無理にやらなくても平気よ。
そう言われて一瞬迷う。
たしかにけっこう大変そうなんだよな…
あれもこれもできるわけじゃないし、
ある程度は取捨選択も必要なのよなぁ
どうしよ
まだやらなくていいかな
5年後に楽しいのはどっち?
何かを始めるとき、
始めるその瞬間は新鮮な刺激に面白みを感じられることは多い。
でもそれを続けようとすると途端に修行のようになってしまうことも多くて。
歳を重ね、このサイクルを繰り返しているうちに
続けることの大変さを想像して億劫に感じるようになってしまっていることに気付いたのです。
まあ、それはそうなのよ
何かを変えるっていうのは肉体的にも、精神的にも負担がかかるものだから。
何かをやめる理由とか、やらない理由を考えるのはどんどん上手くなっていく。
それは肌感覚でわかる。
でも逆にその自覚があるからこそ、
その言い訳を振り払って一歩踏み出した方がいいのではないかと感じられて。
今日はまさにそれを強く感じた日。
大変。忙しい。
他にもそれっぽい理由はたくさん挙げられるけど、
それをやってみた自分とやりもしなかった自分、
続けた先にいる5年後の自分と、何もしなかった自分、
どっちが面白そうかと問われたら
それはやっぱりやってみた方だと思ってしまう。
そういう性格。
脱・完璧主義
脱・完璧主義。
とりあえずやってみよう。
やってみて他にもっと面白そうなことが見つかったのならそれに移ればいい。
でもいま目の前にあるものが少しでも魅力的に感じられるのであれば、
とりあえずやってみよう。
このくらい軽い気持ちで大丈夫。
わかんないけど、たぶん平気。
あとはやってみてから決めればいい。
今日は脱・完璧主義の一歩を踏み出した日。
それだけで十分。
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