私たちが思う普通とは
私が障害福祉の分野のお仕事をして、影響を受けた方が何人もいます。
その多くが私がいつも障害を持つ子と出会う時に感じる「普通とはなにか」という問いに正面から向き合ってこられた方々。
その一人が鹿児島にある「しょうぶ学園」の施設長福森伸さん。
私が大好きなsoarというサイトでも特集され
先日NHKのハートネットTVでも特集され
日本でも有名な障害福祉施設です。上に貼ったリンクの記事を読んだだけでも胸が熱くなり、涙が出てしまいます。
特に私は言語聴覚士として働き始めたすぐの頃、知的な遅れが比較的重いお子さんと出会う機会が多くありました。本当にたくさんのことを教えてくれたあの子たちの顔は今でも忘れることはありません。
当時の療育と言えば「いかに普通の子に近づけられるか」「苦手なところをどれだけ練習して上手にするか」というところにエネルギーを注いでいた時代でした。
初めは何を分からず、ただがむしゃらに目の前の子たちが一つでも出来ることが増えるようにと一生懸命言語指導をしていました。
何年か経った頃、「本当にこれが身につくんだろうか」「分かるようになったり、言えるようになったあと、使えるようになるんだろうか」「使えるようになったことは、この子たちの生活が豊かになることや幸せに繋がっているんだろうか」
たくさんの葛藤が出てきました。そのたびに
「普通ってなんだろう」
「この子たちの本当の幸せってなんだろう」
そのことばの意味を何度も考えてきました。
時代が流れ、少しずつ「苦手な所を頑張らせるのではなく、得意な所を使って苦手な所をカバーしよう」というように療育の流れもシフトチェンジしていきました。
その中でも何度も湧いてくる「普通ってなんだろう」の問いのすぐ隣には「もしこの子たちこのまま何も変わらなかったら、どんな大人になるんだろう」という支援者として決して口にできない想いもありました。
「もしこの子がこのまま何も変わらなくて、大変なことになってしまったら責任が取れない」
こわかったんですね。私。
だからいつもその子が少しでも楽しく、言語指導ができるように工夫して、少しでもその子たちの将来の選択肢が広がったり、生きやすいためのスキルがひとつでも身につくように、たくさん勉強して、毎日毎日子供たちと向き合ってきました。
そしてその先に出会ったのが福森伸さんのこの本でした。
そこには、きっとご自身の葛藤、まわりのスタッフの方との葛藤がありながらも
「できないことをがんばらせる」ところから
「出来ないことを出来ないままで、やりたがっていることを思いっきりやらせてあげる」に方向転換され、その先に見えた新しい価値観と彼らの姿、作品が綴られていました。
私はこわくて「出来ないまま」を見守り、「やりたがってることを思いっきりやらせてあげる」勇気がなかった。
福森さんは私が見れなかった世界を本や特集で見せて下さいました。
しょうぶ学園の方々の作品には今や全国にたくさんのファンがいて、有名ホテル内のアートデザイン作品として使われることも多く、年間売り上げは1500万円にものぼるとか。
味わいがあるイラストのお皿は、小さい子が書くような動物のイラストだったりします。でもその方の「好き」の熱量がビシビシ伝わってきて、そこが多くの人を魅了するポイントにもなっているんだと思います。
もしもっと絵を描く訓練をして、彼が描きたい絵ではなく、一般的に年齢相応と言われるレベルの絵を描くことを求められ続けていたら…
きっとこの作品が生まれることはなかっただろうし
たくさんの人が彼のイラストのお皿を買い求めることもなかっただろうし
彼が自分の作品を多くの人に喜んでもらってる達成感はきっと味わうことができなかったでしょう。
「普通の子のように出来ることが増えること」がその子の生きるチカラになることもきっとあるはず。
でもそれだけが全てではないこと。
その子が本当は何が好きで、何がやりたいのか。
その子が本当はどんなことに困っていて、
どんな風にサポートをしてあげたらいいのか
私たちは支援者は「普通なら」や「こうあるべき」を一度横に置いて、「支援する側」「支援される側」という立場も横に置いて
フラットな目で彼らと向き合うことって大切だなと感じています。
いつかしょうぶ学園に遊びに行ってみたい♡
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