【生きるための学びを!】『学校の「当たり前」をやめた。』(著:工藤 勇一)を読んで②
こんにちは!
今回も前回に引き続き、工藤勇一さんの著書『学校の「当たり前」をやめた。』を紹介したいと思います。
社会に出て、楽しむことの大切さ、それを伝えるには実際に社会で活躍している人と交流を持たせる意義を説いていらっしゃいます。
自身の中学生の時を思い出すと(20年以上前ですが)、身近な交流のある大人は「親」「親戚」「学校の先生」「塾の先生」「サッカークラブのコーチ」くらいでした。
テレビや雑誌などで見る大人(と言っても今思えば若い方々)は、正直距離がありすぎて、「自分事」に置き換えるのは難しい状況と言えます。
対面(オンライン/オンサイト問わず)でのコミュニケーションは、親近感を生み出し、ロールモデルの形成という効果が生まれます。
大目的としてまず「何を伝えたいのか」、工藤さんはそこに「社会=学校を出た後の面白さ」を置き、その上でコンピテンシーとして「自律・貢献・創造」といった力を伸ばすというのを掲げていました。
こうしたゴール感を置いて、現場の判断軸を示すというのは会社経営のリーダーにも求められる動き方と言えます。学校経営も共通点があります。
最近、学校って何だろうと考えることがあります。社会に出る前の育成時期ではあるものの、学校生活の存在が大きくなりすぎており、かつ雇用を含めた巨大産業になり過ぎており、本来の教育のあるべき姿と乖離してしまっていると感じています。
工藤さんの言うように、学校に馴染めない、行かなかったとしても「学び続ける」姿勢を持つことは可能です。また学校が基礎学力の定着に貢献できていない現状もあります。ただ、コミュニケーションを学ぶ場としては良い環境であるし、私が公立信者であるのは小さな社会構造が形成されているからです(少なくとも中学校までは)。
一方で、学校にいる時からもっとコミュニティや社会と繋がっても良いと思います。起業しても良いでしょう。
またリモートの文化が社会に浸透した今、海外から日本の学校に参加することも可能ですし、逆もまたしかりです。
私の中では、子どもの育成するポイントとしては、
①他者への思いやり
②基礎学力の定着
③興味や好奇心の育成
④コンピテンシーを伸ばす
と捉えていますので、こうしたポイントが伸びる環境を子どもと一緒に作っていくのが私の役割と捉えています。
自身の考えとしては、こうした家庭の教育方針は人それぞれですので、参考になることは取り入れ、違うなと思う部分は無視するという姿勢で良いかと思います。
この考えは素敵だなと思いました。大人も同じですね。失敗やトラブルから何を学ぶのか、それを子どもに問いかけるのが自身の役割と認識できましたし、家庭だけでなく、会社などの組織の育成にも応用できます。
私は高校時代に日本のトップのJユースに所属していました。そこでは同じようにプロを目指す仲間と切磋琢磨し、自分を鍛える環境としては非常に恵まれていました。
また高校生ながらプロの練習に参加することができ、当時の日本代表や元代表の外国籍選手の方と一緒にプレーすることもできました。
私はプロにはなれませんでしたが、多くを学ぶことができました。何かにガムシャラになる、高い環境でやることの意義を感じましたし、その後の人生の財産になっています。
意識の高い環境に身を置くことの重要性は現在の仕事にも通じていますし、生涯の学びに繋がると思います。
工藤さんは現在は私立横浜創英中学高等学校の校長に就任されているようで、今後も活躍を期待しています。