
子どもは親とは全くの別人格である。
(自分の)子どもは、自分とは違う人間である。
そんな当たり前の話を、妻とした。「娘は、わたしとは違う人間なんだよね」と。
言葉として出してしまえば、だからどうした、という程度のことかもしれない。
だけどこう思ってしまうことはないだろうか。
「自分が産んだ子どもは、まるで自分の身体の一部のように愛おしい」
「あなた(息子や娘)が、そういう事すると親の自分が恥ずかしい」
「自分は、そうした事では悩まなかった(わたしは足が早かったのに、わたしは勉強ができたのに…)けど、あなたはどうしてできないのかね」
同じ遺伝子を引き継いでいることで、顔や性格の“一部“が似る。そのことが原因なのかどうかはわからないけど、ついつい自分と比較したり、自分のことのように感じてしまったりする。
それは共感を通り越して“一方的な感情のシンクロ”状態になっているのかもしれない。
わが家でも当然そういうことはあって、「よくしゃべるところは、妻に似てるよな」とか「わりと内弁慶なところは僕に似てるのかな」とか微笑ましく眺めたりする。でも、結局の所僕とも妻とも違う人間であり、娘にしかないオリジナリティがあり、娘の感じ方がある。
たとえば、妻はどこにいてもよく声が通る。僕なんかは居酒屋でいくら店員さんを呼んでもなかなか気がついてもらえないタイプだが、妻は呼んでもないのに来てしまう。
それが、妻はコンプレックスだったという。
娘も、よく声が通る。この“よく通る声“はきっと妻譲りだろう。だからといって、娘がそれを妻と同じようにコンプレックスと捉えるかどうかは娘次第だ。単純に自分の強みと思うかもしれないし、そんなこと気にしたこともない、とうことになるかもしれない。
親と同じような特徴を引き継いだとしても、それをなんと思うかは全然違うのだ。
親は、自分と子どもとの共通点を見つけると嬉しくなる。
思わずにやにやしちゃったりもする。
だけど自分が子どもだった頃、そんなことを言う親に対して反発しなかっただろうか。
「俺と、あなた(親)は価値観も、考え方も違うんだ!」
そう叫びたくなったことはなかっただろうか。それがいわゆる思春期なのかもしれないが、思春期でなくても子どもを自分の一部のように思うのは危険だなと思う。
すごく当たり前だけど、親と子どもは全く違う人間である。
ぼくは、できるだけ意識的にそのことに対して自覚的であろうと思う。
では、また明日
いいなと思ったら応援しよう!
