最後の幼稚園弁当。
先日、幼稚園さいごの日。
3年間作り続けた幼稚園弁当も、ついにさいごになった。
幼稚園へ入る前の保育園時代は給食だったから、朝からお弁当をつくるなんてことはしなくてよかった。
そもそも、長い人生の中で毎朝お弁当を作り続けるなんてことははじめての経験で。幼稚園入園が決まり、お弁当を持参しなくてはならないと知ったときには不安もたくさんあった。
材料買い忘れていたらどうしよう?
寝坊したらどうしよう?
作ったのに、持っていくのを忘れたらどうしよう?
娘がちゃんと食べられなかったらどうしよう?
自分が幼稚園児だったころ。
やっぱりお弁当を持っていっていたのだけど、母も同じような不安と戦いながら作ってくれていたのかもしれない。
いまでも、「幼稚園に行きたくない!」とぐずり、通園バスに乗らずに、母に自転車に乗せてもらって行った日のことを覚えている。
その日のお弁当は、ミートボールだった。
幼稚園についても、そこにいるのが嫌で嫌でしかたがなくて、帰りたかったのだけど。お弁当のミートボールを見たとたんに「幼稚園に来てよかったー」って、なんでかわからないけど思った。
大好きなお弁当には、すべての不安を吹き飛ばすほどの力があるのかもしれない。
それには、べつに理由なんてなくて。ただ「好き!」って気持ちだけで、自分の周りの世界を変えてしまう力。「食べること、おいしいって感じること」ってきっとそういうことなんだろうな。
*
ぼくが作り続けた400個以上のお弁当に、そんな力があったかどうかはわからない。
この3年間。お弁当をめぐって娘とも色々なやりとりもあった。
娘がお弁当を早く食べ終わらなくて、遊べないと文句を言っていたのはわかっていた。 だから「早くなくてもいいんだよ」「最後でもいいんだよ」「残したっていいよ」と言い続けていました。 遅くてもいいじゃん。
ピカピカに食べてくれることが、嬉しいよ。 こうした許容で、娘が少しでも励まされたらと思っていました。
でも、娘が悔しそうにうつむきながらご飯を食べる姿を見て、はっとしました。 早く食べ終わるように、協力してあげなきゃダメじゃん。 眼が覚めるような気持ちでした。 これまで、ぼくは何をしていたんだろう。
お弁当をたくさん食べてもらいたい、という自分の希望を押し付けるんじゃなくて。
娘が早く食べ終わって、みんなと遊べるように、なんで協力してあげなかったんだろう。
※娘のための、小さなお弁当箱 より引用
お弁当を通して、たくさんの対話をすることができた。
それは「おいしかった?」というやり取りだけのことじゃなくて、娘のお弁当に対する気持ちや、食べることへの向き合い方、ぼく自身の子育ての価値観についてなど。
作り続けたからこそ、様子を見続けたからこそ、知ることができたこともある。
お弁当作りは、面倒で、大変で。
「ご飯炊き忘れた! 冷凍ごはんもない!」「メインのおかずになる物がない!」なんてトラブルもつきもので。
それでも、そこから生まれたお弁当を通しての対話は、かけがえのないものだったと思うのです。
さいごのお弁当は。
娘が大好きな、鶏そぼろ、卵そぼろ、鮭フレークの3色ごはん。うずらのハンバーグ。そしてかぼちゃサラダ。
3年間、がんばって食べてくれてありがとう。
「パパのお弁当、100万点!」って言ってくれて、ありがとう。
では、また明日。
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今日はこれまでのお弁当の記事のリンクをまとめました。
お弁当づくりがシンドい、楽しくない、子どもがあんまり食べてくれなくて心配、という方の支えになればと思います。