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「なんのため?」の呪縛。

自分が生きている中で「やってみたいな」と思うことがいくつかあります。

野望とか目標などと言うものでもないのですが、面白そうだなと思うこと。

たとえば「めちゃくちゃ美味しいお蕎麦を食べる」みたいな半日もあれば終わるものから、「お遍路さんコンプリート(コンプリート?)」みたいな時間がかかるものまで。

やれたら面白いだろうけど、忙しい日常生活の中ではなかなか時間を作れないことたち。しかも、やったからといって「楽しかった」以外に何も残らないかもしれないことたち。

ある意味、重要でも緊急でもないそうした好奇心の種をぼくはどこか軽く扱ってきた。

子どもを見ていると「やりたい」に理由なんていらないって伝わってきます。ぼくはいったいいつから自分がやりたいことに、いちいち理由をつけないと気がすまなくなってしまったんだろう。

「文系で進学するから、数学は適当でいいや」
「受験があるんだから、絵を描いて遊んでる場合じゃないな」
「ミュージシャンになるわけじゃないのに、楽器ができてもしかたない」
文章を書くこと、スポーツ、音楽、勉強。

学生のころから「楽しい」より「意味あること」が優先されるようになっていた。「意味」とはつまり「仕事」や「稼ぐ」であり、まったく無意識だったけど資本主義ど真ん中な価値観に縛られていたのかもしれません。


▶ 「なんのため?」の呪縛を引き継がない

子どもは好奇心の塊です。
うちの娘も、テニスを見たら「テニスプレイヤーになる!」といい、カメラを触れば「カメラマンになる!」と騒いでいます。

学校生活や、日常生活の中で触れるありとあらゆるものが楽しくてしかたがないみたい。字の練習だって、百人一首だって、絵本を読むことや物語を書くことも、Switchやyou tubeも、みんな同じように楽しい。

そんな姿を見て思うのです。

やりたいことに意味を求めるなんて、もったいないって。
意味や意義ばかりを考えてやるから意味のある人生がおくれるわけじゃない。意味のある人生は、人生を楽しむことからしか生まれないんだなって。

だから、子どもが好きで楽しんでいることに「そんなことより、大切なことがあるでしょ」なんて口が裂けても言わないようにしたい。

子どもは、自分で大切なことの優先順位を決めることができる。
横から大人が「大切なこと」の押し付けをするより、子どもを信じて待つようにしたい。


子どもから教わることって本当に多い。
自分自身だって、純粋に「やってみたいな」って思うことを一つずつやっていこうって思わせてくれます。

「人生って、楽しいね」って、死ぬ前に家族と笑いあえたら最高だなぁ。


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三木智有|家事シェア研究家
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