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なぜ「辞めてもいいよ」と言われても、ぼくはお弁当づくりを手放せないのか?
娘のこっちゃんが通うスクールは、一足先に夏休みを終えて今週から二学期。
それに伴い、ぼくの毎朝のお弁当ルーティンが始まりました。
お弁当をつくり始めて、もう4年になる。
たいしたお弁当じゃないけど、それでもいつも楽しみにしていてくれて「今日のお弁当はなに?」とのぞきに来る。
好きな物のときは「いぃやったぁーーー!!!!」と雄叫びを上げ、嫌いな物のときは「ちょっとにしてな」としょぼくれる。
お弁当をつくり始めた3歳のころと比べると、体もリアクションも大きくなった。
▷ お弁当は娘とのコミュニケーションだった。
毎日お弁当をつくるのって大変です。
家族のためにがんばってる親御さんたち。きっとこの大変さに共感してくれると思うのです。
「毎日スーパーで、夕飯と明日のお弁当のことを考えながら買い物しなきゃいけない」
「寝ぼけたまま、身体がまるで歯磨きするように自動的に卵焼きを焼いていた」
「朝、お弁当分のご飯がなかったときの絶望感」
ありますよね?
でも
「そんなに大変なら、全部レトルトにしたらいいじゃん」
「作らなくてもお弁当の宅配もできるよ」
なんて言われても、
「いや、大丈夫。つくるから」
って言ったり思ったりすることないですか?
ぼくは実際にそう答えたことがあります。あれってなんでなんだろうか。
節約とか、こっちゃんはまだ好き嫌いが多いからとかかなって考えたけど、あまり納得感がない。
で、喜びの雄叫びをあげるこっちゃんを見て思ったのです。
お弁当づくりは、ぼくにとっては家族とのコミュニケーションのひとつなんだな。
って。
お弁当に限ったことじゃないんですが、ごはんをつくるってのは、ぼくにとってはコミュニケーションのひとつだった。
コミュニケーションって色々な方法があって、会話やスキンシップ、一緒に遊ぶとか寝かしつけとか、絵本を読むとか。そうした触れ合い全部を指す言葉だと思っていて。
ごはんをつくるってのは、そうしたことのひとつ。
「面倒くさいなぁ」「大変だなぁ」なんて言いながらも。
「これ食べてくれるかなぁ? 野菜食べて欲しいなぁ。これはきっと大喜びするだろうなぁ」って考えたり。
喜んだり文句言ったりしながら食べる姿を見たり。
そうしたことが、いつの間にかコミュニケーションのひとつになっていたんだと思ったのです。
家事の外注化も簡略化も大賛成で、使えるリソースはちゃんと活用すべきって思います。
でも、家事って作業であると同時に家族とのコミュニケーションだったりもする。
きっと「効率派」と「丁寧派」がぶつかるのは、そこらへんの考え方が違うから。
ぼくはいい加減だから、適当にどっちも取り入れる派。
お弁当に関しては、家族が喜んでくれてるから、コミュニケーションなんだって考えるようになったようです。
さあ、明日もお弁当つくるぞ!
では、また明日。
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