3月11日の誕生日。
ぼくの誕生日は3月11日。
10年前の誕生日。妻と一緒に映画を見ていたその最中に、東日本大震災は起こった。
今にも崩れそうな古ぼけた映画館の中、このまま天井が落ちてきたらどうなるのかな、と思っていた。
震災の少し前、海外でやはり大地震があって建物が崩壊する映像が流れていたのを思い出したのだ。
その後、慌ただしくごった返す新宿を、地震に強い建物ということでタカシマヤまで逃げていった。
多くの人がタカシマヤを目指し、余震に怯える中。
新宿駅の新南口にある大型ビジョンに映し出されたのは、燃え広がる東北の街の映像だった。
「誕生日おめでとう」
そんなささやかな幸せは、現実に起こっている理解ができないほどの災害の中、消し飛んでいった。
それは、後から思い出して「あの時は大変だったね」と笑い合えるようなちっちゃなトラブルなんかではなかった。
その日から。
3月11日は、誕生日ではなくて追悼の日になった。
たくさんの人が家族や大切な人を失い、その苦しさを乗り越えようと励まし合う日。
そんなたくさんの想いが溢れる日に、自分の誕生日の通知がSNSで流れるのが本当に嫌だった。
「おめでとう」を強要するかのような通知を消して、ひっそりと過ごすようになった。
この10年間。
ぼくは、3月11日とうまく向き合うことができずに来た。
「そんなの自意識過剰だよ。普通に誕生日を祝えばいいじゃないか」
と言われそうだけど、そんな気持ちになれないのだから仕方がない。
結局。向き合うことから逃げ続けた結果、誕生日なんて別にどうだっていいや、って思うようにして10年を過ごしてきたのです。
自分の誕生日は、自分以外の誰にも関係なんてないんだから。自分自身が価値や思い入れを感じなくさえなれば、なかったことにできる。
そんな風に、思うようになっていたのです。
それから10年。
3月11日の朝。
「ねえ、パパ。今日何の日か知ってる? パパの誕生日やで」
ベッドの上をゴロゴロと転がってきた娘が、耳元でささやきました。
あぁ、娘にとっては今日は震災の日じゃなくて、パパの誕生日なんだ。
なんだかそれが、とても新鮮な気がしました。
震災の日、じゃなくて自分の誕生日としてこの日を楽しみにしてくれている人がいることに。
そんな気持ち、自分自身でさえ忘れていたのに。
妻と一緒に作ってくれたという、誕生日プレゼントの折り紙をガマンできずにフライングでくれたり。
「今日は誕生日やから、なんでも許してあげる」となぜか寛容になったり。
肩を叩いてくれたり、アメをくれたり。
その姿に触れて、3月11日と向き合うことから逃げ続けていたことを情けなく思ったり。
きっと。
日本中に3月11日生まれの人はいて。
それぞれが、それぞれの思いを抱えながらその日を迎えているのだと思うのです。
みんなが、それをらどう受け入れているのかはわかりません。
ただ、ぼくは。
娘の屈託のない笑顔を見ながら、これからは誕生日をもっと純粋に受け入れて楽しもうと思うことができた。
それは、10年経ったから震災のことは忘れてってことじゃなくて。
どっちもちゃんと大切にできることだよねって、ようやく思えるようになった気がするから。
そういう気持ちにしてくれた娘に。
本当にありがとうの気持ちでいっぱいです。
では、また明日。
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