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教育とはスキルを身につけることにあらず

学校を作ろうと動き始めてから、どんどん色々な教育情報がはいってきます。
人を紹介してもらったり、SNSで色々な記事に触れたり、本を読んだり、実際に色んな学校をフィールドワークしたり。

これまで興味を持っていなかった分、触れる情報の目新しさやいまの教育のあり方や目指すビジョンを垣間見たときに圧倒されるような衝撃を覚えるのです。

こうした教育に接する中で感じるのは、教育とはスキルを身につけることではない、ということ。
公式を覚えて問題をすばやく正当できるようになることや、何かを暗記して答えられるようになることは、教育の中の本の一部分でしかない。あたかも、受験を勝ち抜くことこそが教育の第一目的のように、答えがわかりやすいぶん思ってしまうが、そうではない。
なんというか、もっと広くて深いものなのだと感じる。

たとえばイエナプラン教育の創始者ペーターセンは、学力向上だけでなく「子どもが全人的に発達する場」「社会の中で他者とかかわり、共感したり協働したりしながら常に他者との共存の中でアクティブに学ぶ場」こそが学校であると言っています。

つまり、子ども達の世界を広め、世界とのつながりをつくっていくことが教育の中では大切なのだということ。
学力向上が不必要だというわけではなく、それはその広がる世界の中のひとつでしかないのだと思うのです。

色々と知るほどに、自分が子どもの時にこうした教育に触れてこれなかったことが本当に悔しいなと思います。
でもぼくは、10歳の時に触れることはできなかったけど、39歳にしてそれらに触れることができました。
そしてもっとラッキーなことに、4歳の娘にこれから多様な選択肢を示すことができます。

教育の場は多様化してきているのだと思います。
でも、まだそれを選ぶ親は本当にすくない。自分たちが「いいな」と思ったとしても、マイノリティな教育に子どもを通わせることには抵抗感がある人は多い。みんな、子どものためを思うからこそ知らない世界に足を踏み入れることに不安を覚えるのだと思う。

教育の良し悪しは、入学できる大学の偏差値だけではない。
何をもって良いと考えるかは、「子ども」「親」「教員」「学校」が各々判断する。だからこそ、多様な学校選択の自由がオランダにはあるのだと言います。

僕たち当事者である親が、どういった教育を良いと考えるのか。
そうした判断基準を養うことが大切なのだと思うのです。

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新しいことを学ぶというのは、面白く、大変だなと感じます。
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三木智有|家事シェア研究家
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