「ご飯できたよ」と呼ばれてもすぐに食卓へ向かわないのは礼儀の問題なのだ。
母に「ご飯できたよ」と呼ばれても、返事をしなかったり、やっていることがひと段落するまで行かなかったりしていた。
すると、母の機嫌は途端に悪くなった。
できたと言っているのになぜ来ないのか、と。
ぼくにはぼくの言い分もあった。
食べたくなったら行く、いまはやっていることがあるのだ、と。
当時は母の気持ちがよくわからなかった。
なにをそんなにわずか数分のことでイライラするのか。べつに30分食べに来ないわけではないのに。
だけどいま。毎日の食事をつくるようになって、ぼくは母と同じことでイライラして怒っている。
できた、と呼んでいるんだからすぐにテーブルにつきなさいと。
立場が変わって、いまなら母の気持ちがよくわかる。
それは、作り手への礼儀の問題でもあるのだと。
料理をする人は、作っている間、自分のやりたいことをすべて脇に置いて作業をしている。
TVを見たい、漫画を読みたい、スマホを見たい、仕事をしたい。そうした自分の希望は全部後回しになる。
自分の分を作って自分だけが食べるのなら別にいい。だけど、その手間のほとんどが家族のための手間なのだ。
しかも、お腹を空かせた家族たちは「まだー?」「え? いまから作るの?」「なんだー、今夜はこんなんかぁ」と文句も不満もブツブツ言う。こちとら、お金をもらってるシェフじゃないのだ。
それなのに、みんなの好き嫌いまで考慮して、栄養のことだって考えて、大急ぎでつくる。
これをボランタリーでやっているのである。
それなのに、いざできたら「はーい」と空返事だけして食卓には来ない。自分には食卓へ向かう以上に「やりたいこと」があるのだと。
これでは「バカにしてんのか」と言いたくもなる。
押し付けがましいと言えばそれまでかもしれない。でも、ぼくはいま作り手になってはじめて、当時の母の気持ちがわかるようになった。
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今日も見に来てくれてありがとうございました。
家事はどれだけ頑張っても対価はありません。
だったらせめて、感謝の気持ちは大切にしていたいと思うのです。
ぜひ、明日もまた見に来てください。