感覚派にあてはめはいらない
noteを書く前に瞑想をすることが多い。
書きたいことが浮かんでる時は
もちろんそんなことしないで
できるだけ新鮮なうちに書くから、
つまり今日は特別書きたいことがないってことだ。
瞑想って、
「頭頂から吸って、大地に吐く」
みたいな表現をよく使う。
(ハートの部分は、
第◯チャクラだったりもする)
もちろん実際に頭頂から息を吸うことなんかできないんだけど。
でもそう言われたら、
「実際には呼吸は鼻か口からしかできないけどね」
とか言われなくても、
何となくわかる。
というか、
あんまりそこは大事じゃないっていうか。
なので、
むしろあんまり細かい説明は要らない。
と思っちゃうわたし。
で、なんとなく、
論理的な説明が好きな人(ロジカル派?)は、
そういうところも言語化して説明する(される)のが好きなのかなあ。
と思った。
もともと感覚派とそうでない人は、
わりと使う回路が違うので、
感覚派の人は
見て、体験して、直感でわかるところが大きい。
ので、
そういう説明、むしろ邪魔になることも多い。
理解する時は必ず思考を使うから(左脳)、
本来得意とする右脳があんまり使えなくなっちゃう。
さらに、
正解に当てはめる、っていうか、
やり方にのっとってやる(ノウハウを使う)という行為が
もともと使える得意な感性を使いにくくしてしまう。
だって頭で考えながら、
感じることはできない。
瞑想しながら暗算はできないのと一緒。
試しにリラックスしてしばらく呼吸しながら、
用意しておいた計算問題を解こうとすると
身体がこわばって、
あっという間にリラックスから抜け出る。
感じる、と思考、は一緒にはできないの。
なので、
感覚派の人は、
すんごく好きなことならもちろん別だけど、
「やった方がいい」
「役に立つ」
が理由なら、
それやんなくていいやつだよ。
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