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一つひとつ経験しながら螺旋を描く

わたしの無意識
自動操縦でやっている
よくあるパターン

小さきもの 被害者 罪悪感
偽善者 不一致
ドラマ ジェットコースター
激しさ 戦争 暴力性

気づいて
俯瞰して
ああこうやってやってるなぁ。
こうやって反応してやってきたなぁ。

じゃぁ次回同じようなことが起きたらどうする?
意識に上がったら
気づいたら
よかったね、おめでとう。

反省や後悔、罪悪感もいらない。

ただ次に活かせばいいのは気楽。

前ももちろん見てきたけど
気づいたのに
ジャッジして
罪悪感つけて
またややこしいことずいぶんしてきたなぁ。

ああなんて酷い私!と受け入れられず
感情におぼれまたダメ出しして結局
受け入れきれず

せっかく意識に上がって気づいたのに。
もったいないことしてた。

でも、またここで大いに腑に落ちたから
ただただ日々実践あるのみ。

しかも何だか愉しくお試し実験のように
やってみよう!とするいまが嬉しい。
ずいぶん抜けてきたなぁ。

それはやっぱり視座が変わったのが大きい。
内観して
アートでそれを俯瞰して気づきが大いにあって。

この絵を描いたプロセスにこそ
気づきありで。
色紙に描いたレインボー🌈の絵を下の絵を描き終えてからガムテープの上に乗せて
上から見た。

ガムテープ分のこの高さから見る3次元での劇場。
私はこの色だと主張し合う図
真っ二つに分離して戦う姿

なんか呆然とした。
もうそれにフォーカスすること
なんだか意味ないと感じた。
もう十分やるだけやった。

ガムテープ分の高さからみた世界は
それは明らかに違う世界
波長だった。

軽やかにただ見ることが
出来るようになってきたいまが嬉しい。

大いに揺れたり、
感情がひどく反応してドラマティックにも
激しくもいかず

ただ見るってことの意味を
アタマを超えて
体感としてもつかみ始めているのも
嬉しい。

波動 波長 振動 バイブレーション
これらの言葉は何でもいいけど


軽いとか重いとかその言葉も以前は反応してたなぁ。軽い時や重い時は体感もちろんあった。
重い時軽やかな人をうらやみ
どうせ私は重いですよぉとひねくれて。
ひどかったなぁ。

重い時にそんなわたしを
ジャッジしていたから辛かったんだ。

何にしても私がジャッジするから
それで余計にキツかった。
最大の味方であるはずの私があまりに厳しくて。

以前と同じ内容の気づきをいま再確認し
また違う箱にしまっている。

以前に気づいた内容を
わかってる
知ってるで
さっさと終わらせずに
もう一度じっくりと見て。

ゆっくり丁寧に見て感じて
丁寧に違う箱におさめなおしている。

わかったつもりは
本当は全然わかっていなかったから。

それで同じテーマを
何度もなんども繰り返してきたから。

もう十分やったから。
同じことはもうお腹いっぱい。

一年前このnoteを始めて
抑圧していたアウトプット大いにやった。

やればやるほど気づきがあり、
じゃんじゃん自分が出てきた。
アウトプットしながら
自己対話
自己理解
私の場だから外を気にせずやってみた。

あの時のわたしの願いを叶えた。
やってみたいことをとりあえずアタマで考えず
やる、出す。
一年経って全然違う私がいまここにいる。

やるだけやって本当によかった。

いまはあの時のように
外に見える形で出していくのも
変わっていくのを感じている。

やるだけやったから
やれたから大いに満足した。
表現の仕方もこれからは変わっていくだろう。

こうやってトライし続けることで
知らないわたし
わからない未来に
やっぱりわくわくする。

わたしを知る旅は飽きない。

同じところに滞らせるのは
苦手なわたしだから
とまることなく
滞らせることなく
溜め込まずに

ゆっくりと螺旋を描きながら
わたしの道をゆく。

ただそれだけだ。

楽しみだな
スペースを開けて

軽やかに
未来を受け入れる
そして種まきをする


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