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わたしの中の戦争をやめる

ず〜っと響いていた。
頭の上にぽか〜んと浮かんでいた
言葉たち

わたしにとってのキーワードたち。

戦争、ドラマティックが好き
キ〜っとなる 波が激しい
エゴで人を  しようとしている
承認欲求
じぶんじしんと繋がる
わかってるつもりでわかってない
わかっているように見えて
勘違いしていることが多い。
勘違いが多く、からまっている。
自分で自分を攻撃してる。

これまで出会った時から今まで
たくさんのキーワード。
上の句を投げかけてくれていた恭子さん。

答えはすべて本来は
その人が持っているから
下の句は自分で見つける。
そのスタンスだから
上の句を投げかけてくれていた。

絡まった糸をたくさんほどくにも
時に、1人では限界は来る。

勘違いしたまま
じぶんじしんからズレたところのままで
あ〜でもない、こうでもないと
それを見つけようとしてやっても
余計に空回りすることがある。

だって本来の自分の位置で
考えることが出来ない場合が多いから。

本来の自分の位置からズレたところで
一生懸命に考えても堂々巡りになりがちだ。

ミセスパイナポーで
本来のわたしに戻るために必要なものを
集中して今年受けている。
わたしにとってある意味
大事な転換期を感じているから。

リセットの多い人生を振り返り
穏やかで、安心の中で
私が本来のわたしらしくあれるように
わたしに内臓されている宝をより発揮して
心豊かな人生を歩めるように。
そのための環境を整えて、大事な土台や
柱をつくろうと思ってやっている。

これまでは別々に受けていた
トリートメントや各種のトピックスの講座。
アロマスクール。

そこから今年はさらに踏み込んで
わたしはいま総括して
人生のレッスンを
受けているんだと思う。

一部ではなく、全てを学ぶことの大切さを
実感している。

内観やバイブレーションカラーを受けて
トリートメントでまた外側から身体も整えて

その都度のイマココのわたしに必要なことを
伝えてもらっている。

そして
今抱えている問題
主に家族との関係にも取り組むことに。

特にいま向き合っているのは母との関係。

父が、亡くなって一年が過ぎ
80歳を超えて突如訪れた
配偶者の死によって起きた
初めての一人暮らしの母。

入院して1ヶ月で、あっという間に
あの世へいってしまったものだから
残された家族は心も身体も追いつかないまま
時が過ぎた。

母はそれからいろんな不安とストレスの
最中にいつもいて、
私と妹は出来る限りのサポートをとやってきた。

ある意味それがやり過ぎてもいた。
私も自分自身の限界を超えたり
ギリギリのところでやったいたので
それは明らかにこのままでは続けられないところまで来ていた。
しょっちゅう寝込んで実際、体調にも来ていたし、
ヘロヘロだった。

そんなゆとりのないところで
母が
食欲がない。
何を食べても味がしない。
何のために生きているのかわからない。
あの時もっと、こうしていれば、
お父さんもっと生きれたかも。
もう少し長く生きて欲しかった。
まだ一度も泣けていない。

その時の不安や後悔する気持ちを
そのまま伝えているのに
私はそれを聞いて
そのまんまそうかぁ。そうだね。
と本当の意味で
心から優しく寄り添うことは出来ていなかった。

あの時の私はとても厳しい人で聞いていたから。
弱音を吐く母を理解しながらも。

どこかで私だって頑張っているんだもの。
過去を悔やんでも仕方ない。
その時にやれるベストは尽くしたよ。
今できることにフォーカスしようよ。
お母さんそんなこと、
言わないで少しでも、前を向いて頑張ってよ。

私がわたしに優しく対応出来ていなかったからだ。

心の奥深くでそんなことを思っていたから
それをすべて言葉にしなくても
きっとそれは波長となって出ていただろう。

母は娘たち2人にやいのやいの言われて
怒られているように感じるとも言っていたから。
そういう感情だけが、伝わっていたんだと思う。

親の死に対してと
配偶者の死ではストレス指数は
かなり違うというくらいだし。

一緒に暮らしていた配偶者が
日常生活からいなくなったその空気
突如訪れた新しい環境や暮らしに
慣れるには相当な時間が必要だ。

このところ、私は自分に対しての
ジャッジについて
丁寧に見て、自分に優しく接することで。

私も見方がまた自然に変化してきているのを感じる。
同じようなことがあっても
捉え方が、変化して。
その時にハッと気づく。

たまたま観たドラマ
きのう何食べた?を観て。

ストーリーの中で
父親がガンになって。
入院、手術する時にお母さんが、うろたえていて
このままお父さん死んじゃったらどうしよう?と
家のいつもの位置に配偶者がいない
椅子を見ながら言うセリフにハッとした。

私が想像している以上に母が
まだその死を現実を受けとめ切れていないことが
重なり、イメージで伝わってきて。

それなのにわたしはそんな母のこと
本当の意味で、わかってあげられてもいないのに
優しく寄り添ってあげられず
厳しいことばかり言っていたことを思い出し
申し訳ないと心から思った。

わかったつもりでいたけれど
相手のことなんて
本当に100パーセントなんて
わかるなんて出来るはずもないのに。
あんなことやこんなこと
言っちゃった!がたくさん浮かんだ。


そしてもうひとつはいま離婚に向けて
調停をしている件についても
モヤモヤ。
いつまでこの状態を
やらなければいけないのか?
そのことについてもある程度今後の方向性を
決めようとする私がいて。
母に意見を聞きたくもなって。

もう夜遅いけれどと
電話で話した。

そして母にずいぶんと厳しい言葉をかけていたことを
素直にそのままの私の中の気づいた経緯も含めて
謝った。

母はみんな精一杯だったからと
そのまま許して受け入れてくれた。

そしてまたそこから
素直に今思うことをお互いが話していた。

そして調停のことも。
この先の方向性について
思うことの整理整頓に付き合ってもらった。

昔から人の相談を受けることの多い母。
母が相談するということはほとんどなく
友だちの相談役、聞き役に
回っていることが多い母。

冷静に話しを聞き、洞察力もあり
ここぞという時の意見は
いつもそうだよねと心強いタイプ。

このところ体調をあちこち崩して
外側としてはケアをされる側に
いることの多かった母。

いかにも、老人扱いされたり、
老いてゆく身体に
情けないわと意気消沈したり
心を痛めていた母を知っているだけに

ここはいっちょ人生の先輩として
意見を聞いてみようと心から思ったから。

そしたら私がここから方向を変えて取り組もうとしていることに賛成な感じだった。

いま、相手方とは養育費のことや
面会交流の頻度やお金のことで
お互い意見が、合わず
どこまで話しを持っていき
折り合いをつけるか?でいる。

一般論としての話では全く進まないでいる。

相手方の気持ちを想像してみるけれど
私としてもいろいろと
納得のいける環境ではなかったから。

私に恨みはあっても
せめて子どもにはきちんと支払いをしてもらうことで親としての誠意を見せてほしいとも思っていた。

お金に関してもあーやっぱりケチくさいと
がっかりもするし、怒ってもいた。

息子のためでもあるから
ある程度のところまで頑張ろう。
それでダメならまた考えよう。
すっとそんな調子だ。

戦いたくはないけど、出来る限りなくところまで
戦おう。そうしなくてはいけない。でもきつい。
やりたくないことに時間も気力、体力、お金もすべて使うことの意味がわからない。
そう思って三年。
離婚の離の字がやっと見えて来たから
あとちょっとあとちょっとと声をかけながら。

どこまでも何にしても勘繰り、引っかかり
重箱の角をつつくように反撃してくる相手に
遠隔で、ずーっと繋がれて
攻撃されているように感じる私は
この案件に関わると絶不調。

これでもずいぶん、下がって降りてきているのに。
まだダメなわけ!一体後、何を下がればいいの?
降参したらいいの?
全部相手の言うことをハイハイと
受け取らなきゃいけないの?
いつもわたしばかりが降参して。と
納得もいってなかった。
全部降参するのが嫌だった。
それは負ける気がしていたんだと後からわかった。
下がる🟰降参する🟰負ける
そう思い込んでいた。

相手方側の気持ち
あまり考えたくなくて切り離していたけれど。
深く考えると体調よけいに崩すから。

相手方からのストーリーからすると
私はおおいに加害者だ。

納得いかないことばかり。
毎日、息子と会えるお前はいいじゃないか。
我が子に好きな時に好きに会えない。
俺はずーっと納得なんていっていない。
話し合いもなく突然いなくなって意味がわからない。
そして俺は加害者とされてとても、傷ついている。
何も悪いことなんてしてないのに。
加害者に仕立てやがってひどいやつだ!

たぶん、そんなところなのだろう。
私はわたしでとても傷ついたけれど
彼も彼で深く傷ついてもいる。
たぶん一生許さないだけの気持ちもあるだろう。
そもそも、戦いを好む人だからこれを続けることは消耗するよりむしろエネルギーにもなるタイプ。

だとしたら
わたしはそうではない。

だからこの、土俵にずっと乗り続けるのは
辞めにしたい。でも降りれないとやってきた。

しかし、小さな譲歩をしながら様子を見ても
多分またちょっとしたことで
納得いかないところを見つけ、またそこに
エネルギーを注ぎ続ける粘着質タイプ。

もうよく、わかっている。

相手は変えられない。
だとしたら
やっぱり私がここから変えて行くしかない!

そう思っている。
この戦いにあてるこの時間が
多いのはあまりにもったいない。

そこで母にも聞いてみたら
同感!と。

そしてわたしの受けとめ方がそれは違うんじゃない?と言ってくれた。

相手が養育費は18歳までと言うなら
それではい、そうですかでいいと。

私のニュアンスとしては
心のどこかにひどい、せめて大学まで行くことも想定して支払うのが親でしょ、ケチ!と思いながら

はい、はいそうですか!とその批判めいたことをはらみながら降参するかのような態度で
怒り、捻くれながら受けいれるしかないと言う要素をはらんでいるのを察して

母は
私にそれは違うでしょと言った。

そうではなく、もっと、シンプルにそこで
受けとるだけで、それ以上でもなく。
感情をのせないで、そしてさらにいくらでも続けようとする戦いの土俵にならず終わりに向かう。

たぶんそんなニュアンスでの一言だろうと、感じた。

わたしはやっぱり相手の言葉に反応し
落胆し、怒り、反応していた。

そして相手の言うことを受けとるのは
負けると思っていた。

でも、それは永遠に続く戦いでしかなかった。

そんな話をして夜中3時間近くも母と話して
わたしがまた、勘違いの道へ行こうとすると
それ違うでしょと、正してくれた。

とても助かった。
心からわたしは母をリスペクトして
話しを聞いていた。
昔に戻ってきたのを感じた。

あれから以前と同じように
夕食何作ったかをラインで往復書簡のように
写真を送って。

あんなにやる気が出ないと言っていた母が
3品も自分のために料理したという画像が送られてきて嬉しかった。

お母さんに気力が、湧いてきている❣️と。

そして私は
ここから相手方との向き合い方や意識の向け方も、変えて行こうとトライしている。

いろんな今まで湧いていた感情を認め
戦いや勝った負けたではなく。

母との関係でもそうだけど
理解しようとする、尊重するに立ち戻ってみようと。

そしてわたしは
心の中で散歩しながら対話することから
始めている。

わたしとして謝罪することも言葉に出して
そして感謝していることも
目の前にいるかのように口にして。

感情的になるのでもなく
静かに語りかけて。

相手が目の前にいないからこそ
出来るのだけど。

これは過去のパートナーにもやって。
わたしの心がすごく癒されて
わたしの中で効果があったから。

こうやっていま
また私は自分の中にあるものをすべて静かに認めて

人として
お互いにお互いを理解しようと努めて
尊重したいという位置で
優しい視点で
見直そう!というところにまでやっている。

ちょうど昨日は子どもの授業参観で
全盲の方のピアノコンサートがあって
その時に配られた紙に
障がいのある方たちに対しての思いが書かれていて。

これは障がいに限らず、すべてにおいて通じることだなぁととても深く響いた。

神さまが、またわたしに理解しやすいように
こうやってあらゆるものを使ってメッセージを運んでくれていることも感じて胸が熱くなった。

ここまで気づきが深まってきたのも
やっぱり恭子さんに必要な時に
内観に付き合ってもらっているからなのである。


これだけ時間が、かかっているということは
やっぱりともちゃんが
相手を傷つけているってことでもあると。
だからもっと自分事として
捉えてごらんと言われたのも、大きく響いて。

そこから相手方のことも
より深掘りして見えてきたものありで。

私がやっぱりドラマが好きだからこそ
最大限にそれを体験できるキャラクターとして
相手が現れたこと。

そして相手と、出会えたからこそ
息子と出会えたこと。

そのことに感謝して
ここからはどう生きるか?

これまでも自分で望む世界を
創造してきたということは???

またここから私は創造出来るということ。

だとしたら
いまここから
何を選択していけば、いいかは明確。

ともちゃんにぴったりの方が現れたって訳ね
吐き気がする程のケチ夫と笑
いう事ドラマティックな演出にもってこいの方
はははと言われ笑

笑いながら受け取りなくない〜💦笑
でも本当のことだから受けとるしかなく。

でも、ありがたいのは
大いにそれを、ネタにして笑って
電話が終われたことだ。笑




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