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めざめたら

この感覚は
この繊細さは
このセンサーは
引き継いだものだ。

ぼんやりとは感じていたけど
そう。そうなんだ。

今日それをハッキリ感じられた。
わたしがめがさめたから。
そう、キャッチはっきり出来た。

ずっとそれを理解してくれる人が
いなかったんだ。
孤独だったんだ。
傷つき、失望し
期待しないで、誤魔化して我慢して
感じないように
これ以上傷つかないように
必死に守ってきたのだろう。。。

だってこれ以上傷つきたくないから。
分かち合えないことは
孤独だ。
さみしい。悲しい。虚しい。。。

期待してこれ以上傷つきたくないから
諦めて距離置いて本当の気持ちは
抑えておいた方がいい。無難だ。
そういつの時か決めて本当のところは見せない。見せてはいけない世界で生きてきたのだろう。

だから娘のわたしにも
危ないあぶないそんなに
純粋まっさらで生きてたら危険だよと
教えてあげようと思っていたのだろう。

母として
守らなきゃと。
それを愛だとして。

わたしはきょろきょろしながら
それほんと???そうなの???と
目をぱちぱちしながら
飲み込んでみて来たのだろう。

それもよくわかる。
悪気もない。
むしろ愛としてだから。
素直にうけとることをしたのだろう。


でも私はそれでも
わたしだから。

いや〜本当かねぇ?と
人生の荒波を
人が普通選ばないような経験をするを
選んだみたりして飛び込んで
痛い目に何度もあいながら
もう無理〜と
とことん体験型アトラクションを
味わって
わたしを知り、
わたしと出会い
自分との対話をしながら
わたしの本当の取説を
少しずつ理解して来ているところだ。

そんなこと何度もしながら
気づいたらもう折り返し地点!

何度目かの目覚め体験と共に
いつしか年を重ねてきた母とわたしは
ある意味、いま逆転の位置関係かもしれない。

本来の母はこういう人でしょ!
の中心に向かって
わたしは愛をもって伝えることが
いまここにあるのを感じて。

季節をまたいで会っていなかった
母とのじかんをもちに
満を持して行ってきた。

気づいたらあちこち身体が悲鳴をあげて
病気を引き起こしてゆく母を
見ていられない。
今ならまだ、間に合う。

この一年、
母を小さく扱っていた。

父が亡くなって
これまで1人で暮らしたことのない母を
何とか1人でも暮らしていけるように
出来る限りのサポートをしなくては。


そういう人として
本来ある力を奪い、依存関係になるかのように。
わたしは小さく扱おうと間違った方向へいっていた。

でも、それは本来のわたしは望んでもいない方向で。
共に沈没する、むしろわたしの方が下手したら先にいってしまうかもしれないところだった。
それこそ、危ない、あぶない。

わたしも本来の自分からぶれぶれで麻痺してたから
それすらも気づかないで
問題は間違った方向へ大きくなっていた。

でも、やっと目覚めたからこそ
わたしはいまの地点で感じること
違和感を母と顔を見ながら話すことにした。

母も違和感のある世界で何ヶ月も我慢して
限界が来ていたからこそ
受けとってくれた。
ちょうどベストなタイミングだったのだと思う。
たぶん数ヶ月前では受けとってもらえなかったし
わたしも、こんな話しは出来なかった。

久しぶりにこうやって
対話が人とできていると。母は嬉しそうだった。

片方の耳が聞こえなくなって
不自由そうではあっても。
もう片方の耳が一生懸命働いてくれている。

目も不調が来ているのだとしたら
それは見たくない世界にいるからこそ
気づいたよ!の
身体からのサインだし
病院だけがすべてじゃない!むしろ
いま気づいてあげることがあるんだと、とても大事なことだとまさに感じるものありで。

家族の中で、わたしだけが
こんなに繊細で
感じるのか?

何で家族とは本当に話が通じないのか?
いつも自分を知れば知るほど不思議だった。

わたしだけ異国からきたの?笑
そんなはずはない。笑




でも、今朝わかったんだ。
母の漬けた梅干しを食べて。
あ〜母はやっぱりとても繊細な人で
感度本当は良好で。

でも、だからこそ
守るのに必死だったんだ。
恐れが多くなる体験ばかりして
ありのままではいられず
人に全てを曝け出しては危険と思って過ごしてきたんだと。

わたしなりに理解が出来た。
だからわたしはわたしが思うことを
言葉にして伝えてお互いに思うままに話し
時間が足りないほどだった。

久しぶりにハートで話せて
わたしもすっきりした。

そしてここからは
わたしは母との関係も
再構築できそうな自信が生まれた瞬間でもあった。

母には
一番自分を大切にしてほしい。


亡くなった父が言っていたこと
お母さん、あの世にはお金は持ってはいけないよ!

お父さんも言っていたことにわたしも賛成!
母の財産は私たち子どもには一切残さないでもいいくらい、自分の幸せのためにつかってほしい。

自分の人生を人の犠牲にならないでいい。
我慢を当たり前にしないでほしいり

お母さんが自分の、幸せな道を歩んでほしい。

次々と浮かぶ思いをストレートに伝えた。

母はしっかり聞いてくれた。
どこまで受けとめてくれているかは
実のところらわからないけど。
でも、それでもよかった。

わたしとしてはずっと思っていたことを
そのままストレートに伝えられて
すっきりした。

とてもシンプルな対話の時間が持てて。

今までだったら
あれもやってあげなきゃとギリギリまで
掃除したり、買い出ししたりしていた時間はなしで、とにかく今回は対話の時間を優先した。

じっくり対話することや
一緒に美味しいものを食べる時間重視でそれでよかったし、それが良かった。

しかも長居せず、
ちょうどよい無理のない範囲で。
さくっと帰って。

私がじぶんの軸や
見たい方向がはっきりしたから
ブレないし
響く人には伝わるし
本当に気持ちいいしかない。


目がしっかりあいてる。
感じられている。
この感覚、ますますクリアーで
気持ちいい。

これは間違いなく母方の家系から
引き継いでいるもの。

わたしがそれをしっかり引き継いだものを
活かして発揮していくこと
これこそが
母にも自然と伝わってゆくのだろう。

だからわたしはより一層わたしに集中するのだ!
よしゆけ!それでよし。

母の梅干しはやっぱり年季が違って
美味しかったなぁ。
柔らかくて薄皮が繊細で。
とっても丁寧に下ごしらえしたのが感じられて。
わたしにはまだ出せない味。


新しい関係のはじまりに
静かな喜びが響いている。。。

ありがとう。
奇跡がじわじわ拡がってゆく

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