母に愛に①
母に今後のこと話そうと愛に行くことに。
実家の滞在時間は2時間弱だったけど
やっぱり電話ではなく
直接顔を見て話が出来て良かった。
対面でのコミュニケーションって
非言語で発するものたくさんあって
大事なことこそ、やっぱりこういう時間大事。
今月に入り内観で、母とのことをぐっと
向き合って、同時に食改善もしたことも手伝って
生活改善、体質改善にもなり、
精神性もとっても落ちついている。
家にいて日常を過ごしながら内観道場状態。
併せて離婚の最終調整もして
無事に調停もラストとなり
いまは裁判所から弁護士さん経由で
書類が来るのを待っているところで。
先程弁護士さんの元に届いて
これから郵送すると連絡があった。
併せてたくさんの書類を
預かってもらっていたものについて確認があり、
たくさんの争ってきた経過や証拠たちの山々
をどうするか確認があり。
最低限必要となるもの以外は処分してもらうことに。
もう見たくないたくさんの過去の書類もこれで
綺麗さっぱりとでありがたい。
わたしも天袋に残してある一箱を
ようやく手放せる時が来て嬉しい☺️。
今後万が一に備えてととっておく人もいると言うが
私はそんな恐れに備えてとっておくのは
縁起でもないので潔く処分の方向で。笑
短い滞在期間だったけど
母にこのところ浮かぶプランについて話してみた。
母と私と息子。
離れて暮らしている妹家族との関係性など
すべて含めて
いまここの時点である意味
方向性を示す時を感じていたから。
それには私がまず発する立ち位置であることも
感じたいて。
離婚の大きな山を終えたら
また一つの山にとりかかる時が来て。
一年前の状況でも何度も浮かんでいたけれど
あの時はとてもそんな見通しや
それを選択出来る状況にはなかった。
母はめまいから緊急入院して突発性難聴になり
父の死後何が何だかわからぬまま
今度は母のこと
問題山積みで考えなければいけないことが
どんどん増えて対応が追いつかないでいたけれど。
いまはとても冷静に
俯瞰して見える位置にいられている。
このいまだからこそ出来るかも。
そう思える状態であることが大きい。
今年に入って人生の大事な土台づくりに
フォーカスして取り組んでまず自分に集中して
いろんなことがあったなぁ。と振り返る。
そしてふと
これってやっぱり空から見ている
父親や🐕のモモの存在だよなぁと
ちゃーんと空からいろんなサインを送ってくれていて見護って導いてくれて。
一つひとつ私が選択したように見えて
実は最善となるようにうま〜く調整してくれている。
なんかいまふとそう感じる。
住み慣れた土地で80代で初めての1人暮らしの母。
始めの一年は心配し過ぎてある意味やり過ぎ
過保護だった笑。
今年に入って私は
ちょっと程よい距離に離れて見護り型に。
母の持っている力を奪うようなサポートはせず。
通院の同行も辞めて。
内観で出てきた
老化してほしくない。
認知症になってほしくないという思いは
ある意味、自分の邪魔をしてほしくないためのもので
本当に母のことを思ってではない気持ちだったことも出てきた。母をコントロールしたい、おどしのようは気持ちがこもっていて。恐ろしい。
だから不安や泣き言や弱音、言ったりする母に
私だって頑張ってるんだから
もっと頑張ってよと厳しいジャッジマンでしかなかった。パートナーを亡くすという体験をして悲しみも感じきれずにいた母のこと本当に寄り添うこと出来ずにいた。
だからいつも本当にただ聞くができず、感情は反応していた。
母にとって安心できる存在で見護るということは出来ずにもがいてた。
何度も母との関係を見ていくと。
それがわかってから。
そこからわたしは同じように母が不安や弱音を吐いても過度に反応しないで聞くことがつらくなくなってきて。
ただ答えやアドバイスをするのではなく
笑って聞けるようになって
ずいぶん楽になってきた。
母にはまだまだ起きたことすべてに置いて
しょうかするそともできず、悲しいということも
埋もれて置き去りのままで。
そしてこないだ数日母が泊まりに来て。
また感じるものがあり。
母もまた同じだったようで。
行けるか自信ないようだったけど
勇気を出して行ってよかった。
街の様子は大体わかったわと母には
その意味はあったようで。
またそこから数週間経ち
感じること思うこと
正直に話した。
長くなったので今日はここまでに