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舞台メディスンを観て1週間後に思ったこと。

もうすぐ東京公演も終わってしまうということで観劇して1週間後に思った感想をちゃんとした形にしておきたいなと。(圭くんにはずっと前にファンメールでお伝え済み)

(シアタートラム:5月9日マチソワ、5月11日マチソワ、5月12日マチネ観劇)

だいぶん飛躍した感想かもとは思いますが『エンダ・ウォルシュはインタビューに具体的に答えない。観客に委ねる。』と白井さんもおっしゃっていたので。

まず感想を書く前に観劇する前に勉強した不条理劇について。

不条理劇は『夢のような構造で意識の下に閉じ込められている無意識の欲望が描かれてる』と以前勉強しました。

そして筋がなく夢の様な構造になっており(ポツンポツンとイメージの連続が組み合わさっている)時間軸などで繋がらない場面場面で出来ている。ということを念頭に置いて。

詳しくはコチラを👇


そしてもう1つ。
ジョンは精神病院に入院している。エンダ・ウォルシュは統合失調症について調べていた。統合失調症の症状として夢なのか現実なのか分からなくなり、曖昧になるというのがあるらしい。

ということで、あの部屋は現実なのか夢なのか曖昧なジョンの頭の中の世界なのでは?と今は思っています。

そして奈緒ちゃんのメアリーとえり子さんのメアリー②は本当の世界(現実世界)では1人なんじゃないのかな?と。

ジョンの実経験と意識の下に閉じ込められている無意識の欲望が混ざり合った世界。

メアリーは長い入院生活でジョンに凄い親身になってお世話してくれたソーシャルワーカーさんで、なんなら少し淡い恋心も持っていて。

でもある日メアリーは既婚者で子供もいることが分かって。

当然勤務時間が終わったら自分を置いて大切な(家族の)子供の元へ帰って行く。(自分を置いて子供パーティーに行くのはこの経験から?)

ジョンの『無意識の欲望の世界』では、仕事は関係なく心の底から自分に優しくしてくれるメアリーと自分に優しくしてくれるのはあくまで仕事上で仕事が終われば自分を置いて大好きな子供の元へ帰っていく(ビジネスライクな)メアリー②に分離させたんじゃないかなと。

だからメアリー②はこの部屋(ジョン本体)に嫌われている。

メアリーズがかける音楽もかなりの年代物(1960年代や1970年代)で、あれはジョンが入院する前によく聞いていた音楽(家で流されていたもの)なんじゃないかな…と。
(逆に長い入院生活で新しい音楽は知らないのかも…)

そしてこの戯曲あえてのドラム。
シンバルの金属音は耳鳴り、規則正しく打ち鳴らすリズムは鼓動のよう。
(それはまさにジョン(本体)の体の1部で)

その説で考えるとメアリー②が良く見る少しエロチックな夢の話。

なみなみと入ったミルクのバケツを持って一人砂浜を歩くメアリー②

そこに大きな馬が駆けてくる。
誰も乗っていないのにハンサムな顔が見える。

ケンタウロスはメアリー②のミルクをぺろぺろ舐め始める。彼の髭に飛び散らせながら(チーズになるほど)高速で(笑)

で、メアリー②は全裸になって踊ったり、足を振り上げケンタウロスの大きな背中に飛び乗って情熱的に太陽に向かってかけて行ったり(笑)

この舞台メディスンがジョンの見ている夢の世界(頭の中)で、メアリーがジョンにとって上に書いた通りだとしたら、清らかだと思っていた恋するメアリーに実は夫がいて、子供もいる→つまりケンタウロスのように屈強で毛深く、男臭いイメージの(自分と真逆なタイプの)夫とメアリーは濃密で情熱的な夜を過ごしている…(オーマイガー…)的な感情が見せた夢?なのかなとか思ったり(笑)

そしてゲロとキャラメルポップコーン(パーティの後の部屋の匂い)とルコザードと牛乳の話。

ジョンは牛乳ばっかり飲んで太ったって言ってたけど、牛乳で太るイメージがなくて。

グズるジョンをご機嫌にさせるため、もしくは母親のネグレクトでご飯代わりかどうか分からないけど、ジョンは小さい頃からキャラメルポップコーンや砂糖がたっぷり入ったルコザードなんかを大量に摂取してたんじゃないかな?(で太ったんじゃないかな)と。

牛乳は嫌いなのにムリヤリ飲まされ続けたトラウマと嫌いな自分の幼少期の体型とが結びついて見せた夢なのかも。

ゲロは赤いワンピースの辛い思い出で毎朝吐いて頭に媚びり付いた匂い。

メアリー②の着信音『映画 キャバレー well kommen』も、もしかしたらお母さんに連れられて見た映画だったのかも。(子供と観る映画じゃなさそうですがあのお母さんなら有りそう)

メアリー②「私は恋なら毎日してるわよ。私の物語は全部がラブストーリーだから」メアリー「子供パーティー、とかw」メアリー②「そうね、演技が上手ければね」という台詞のところ。

これってどういう意味なんだろ?って見た時思ってたけど、人ってある意味みんな役者で、仕事してる時の顔、妻の顔、母親の顔、自分だけの顔、色々あって。

その色んな顔が上手に使い分けられるなら私(メアリー②)のように両方完璧にこなせるのよって言いたいのかな?


時計もあるし、幼少期から順番に進んでいくから筋があるように感じてしまうけど、実は夢のように実経験と色んなものがごちゃごちゃに入り交じった世界。


白井さんがトークで舞台上の時計は元の脚本の設定には無いと仰っていました。(←教えて貰った)

(私はいつも舞台に行けない日でも『あ~今はあのシーンだな…』と感じたいので所々で時間を覚えるので舞台上の時計はただただありがたいですが…(笑))

なので舞台メディスンとしての感想としてあげるのは違うのかもですが、どんな感想も自由ということなので。

13時から始まって15時に子供パーティがあるメアリー。

現実世界でメアリーが病院でジョンのところに来てくれる時間がいつも13時~14時半頃だったのかもとか思ったり。(他の患者さんもローテーションで受け持ちつつ)

で、まだ小さな子供がいるメアリーは14:30頃に退勤してたのかな?と(15時には子供の元へ)

いつも一緒に夕陽を見ることなく自分を置いて愛する子供の元へ帰って行くメアリー。

そして一人毎日孤独という闇の中で夜を過ごすジョン。

おじいさんになるまで外の世界に出ることが出来なかったジョンのささやかな夢。

一緒にメアリーと夕陽を見たかった。

ただ寄り添って一緒にいて欲しかった。
いれるだけ…

だったのかな…と。

じょーーーーーん!!!

と勝手に思って勝手にうえーんってなってます(笑)

「僕の戯曲はどれも、愛されなかったり、ちゃんと見守られなかった人たちを書いてきた。この劇は、施設やホームにいたり中毒者だったり、見守られることが必要な人たちについての物語、そして私たちが彼らを見放したらどうなるかを描いている」

とエンダウォルシュのインタビュー。

愛する人(メアリー)と少しだけでも一緒にいたかったジョンが創り出した頭の中の物語だったのかな…と今は思っています。

読んでくれてありがとうございました!
(ㅅ˘˘)♡*.+゜


《追記》その後、ふと思ったことなど。

舞台を見ているとひたすら外の世界に出られないジョンが可哀想…という気持ちになるけれど、だからといって人生の大半を病院という閉鎖された世界しか知らないジョンを『今日から自由です』と外の世界に解放しても幸せになれるかどうかは分からない。というか生きていくことすら困難かも…🥲

ジョン「ここから出ていいって、言ってくれるかな…」

きっとここから出られるのはジョンが天に召される時、体(頭の中)から解放される時なんだろうな…🥲


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