【インタビュー】 点と点から線を編み出す。 愛溢れるケアを提供し続ける介護福祉士・旗手隆さんとさくらホーム18年の歩み
広島県・鞆の浦にある介護施設「さくらホーム」は、2004年に開所して以来ずっと「ノーマライゼーション=地域共生のまちづくり」に挑戦し続けています。さくらホームには、開設当初からメインメンバーとして日々利用者さんや地域住民と丁寧に関わり続ける、一際熱い想いを持った男性がいます。
笑うとくしゃっと目が細くなるその方は、さくらホーム・原の家(小規模多機能居宅介護)管理者の旗手 隆(はたて・たかし)さん。
”人が最期まで自分らしく生きるためのケアをするには、町全体をみていく必要がある” という強い信念を持っています。鞆の町中に「点」をつくり続け、利用者さんにあわせて「線」として提供するという魔法のようなケアを繰り広げる旗手さんの、優しい眼の奥に秘められた想いに迫ります。
旗手 隆さん
"物" に向き合う仕事から "人" と関わる仕事へ
ーー旗手さんが介護の道へ進まれたきっかけを教えてください。
前職の工場で働いていた時に「人と関わる仕事がしたい」と思ったのがきっかけです。僕は工業高校を卒業後、鉄を扱う工場に就職しました。高校3年生の進路選択の時、本当は福祉の勉強をしたいと思っていたのですが、進路担当の先生に「介護は女性のする仕事だ、卒業後はすぐに就職した方が良い」と言われことから、進学ではなく、体力勝負の工場で働く道を選びました。当時、ちょうど介護保険ができたばかりの頃でしたが、介護に対する社会のイメージは今よりももっと悪かったように思います。
工場に就職後は、朝早くから夜遅くまで働く生活を送ることになります。先輩は厳しく、体力的にも決して楽な仕事ではありませんでしたが、就職して2年が経つ頃にはすっかりと現場を回せるようになっていました。
しかし、鉄という「物」を相手にする毎日に寂しさを感じるようになり転職を決意。昔から老若男女問わず人と関わることが好きだったので、当時、尾道市に新しくできた介護福祉系の専門学校に進学しました。21歳の時でした。
さくらホームとの出会い
ーー 学生時代はどのように過ごされたのですか?
とにかく、勉強とバイトに明け暮れる毎日でした。バイトはおもちゃ屋さんやガソリンスタンドなど、いくつか掛け持ちしながら学校に通う資金を稼いでいました。
2年生から始まる実習は、介護施設で一般的な介護の仕事や流れを体験しました。実習先の一つである介護施設の施設長に気に入ってもらったことから、卒業後はその施設にそのまま就職させてのもらおうと、履歴書まで作成し待機していました。
ーー 実習先の介護施設への就職を考えられていた状態から、当時まだ形のないさくらホームで働こうとなったきっかけは何だったのでしょうか?
さくらホームの創設者・羽田冨美江さんとの出会いがきっかけです。さくらホームができる前、冨美江さんはクリニックの訪問部門で現場スタッフとして働かれていました。そこで、たまたま僕の友人も働いていたんです。
友人から「今度、職場の理学療法士さんが施設を立ち上げるみたいなんだけど、面白そうだから話を聞くといいよ」と教えてもらいました。
ある秋の日の夕方、僕はスーツを身にまとい、冨美江さんが当時働いていたクリニック近くまで会いにいきました。冨美江さんが訪問先から帰ってきて、二人で会話が始まります。
「今のデイサービスって変よね、もっとこう、面白いことしなきゃ!」
冨美江さんは、介護業界の課題やこれから目指す世界観をとびっきりの笑顔でお話されます。
「介護施設に通う人も、もっと船乗って釣りに行くんや! 家に引きこもっていたらあかん、町にでるんや!」
学校ではまるで習いもしなかった介護の話が展開され、僕はただただ圧倒されました。しかし、自然と心躍ってくるのです。
「なんかよく分からないけど、すっごく面白そう!」「この人と一緒に仕事がしたい!」
話が終わったころには、僕はさくらホームで働きたいと心から思っていました。冨美江さんもぜひ一緒に働こうと言ってくださり、就職することが決まります。当時、介護施設の運営を一人の理学療法士が起業してやるなんて考えられませんでした。まだ形のない場所で、習ってきた介護ではない仕事をすることに多少の不安はあったものの、それ以上にワクワクが止まりませんでした。
さくらホーム立ち上げの決起集会は、福山市にあるワシントンホテルで行われました。ベテラン介護職員数名と新卒は僕一人、初期メンバーは8名でした。さくらホームの歴史がスタートした瞬間でした。
「想像もできない介護」への挑戦
ーー 学校では習いもしなかった介護に挑戦する道を選ばれた旗手さんですが、「これまでの介護」とはどのようなイメージだったのでしょうか?
当時の介護現場といえば、例えば、いかに早く多くの人数をお風呂に入れられるか、オムツ交換できるか、みたいなところが主な指標となっていました。そこをテキパキと数こなせる人が、ヒーローなんです。
介護の質を追求するというよりかは、工場のライン作業のように業務を遂行できる人が重宝されていたのです。
ーー 実際に働きはじめて、変化したことはありましたか?
さくらホームが開所し、はじめは利用者さん2名からスタートしました。これまで慌ただしい現場で作業のような介護しか経験したことのなかった僕にとって、利用者さんとじっくり関わることができたのは非常によい経験となりました。ベテランの先輩方が、利用者さんを主体とした想いを丁寧に引き出しながらすすめる介護を間近で見られたのも、大変貴重な経験でした。
デイサービスで自由に過ごせることで「自分らしい」表情をされる利用者さんを見て、これが本当の介護なんだと、僕の中の介護施設のイメージがじわじわと崩れていきます。
ーー 当時、特に印象に残っているエピソードはありますか?
ある日、利用者さんを送迎している時に、ふと「坂の上のお墓に当分行けていない」という声を耳にしたスタッフがいました。業務後、そのことについて自主的に集まったスタッフ達で議論します。どうやったらその方がお墓にいけるか、みんな一生懸命考え意見を出し合うのです。実際の現場にも下見に行き、実現に向け家族も巻き込みながら丁寧に準備を進めていきました。
そして数日後、無事に利用者さんを連れてお墓に行くことができました。数年ぶりにお墓参りができたその方は、お墓の前で涙を流し喜ばれました。僕はその時、「こうやって人の願いを叶えていくんだ!」と衝撃をうけました。諦めていたことを実現するには、多くの人を巻き込みながら丁寧に準備することが大切で、そこを丁寧に進めることで強いチームになることを実感したのでした。
一人でやった方が効率よく早く進められるかもしれません。しかし、共感してくれる仲間と共にすすめた方が、その後の喜びはひとしおです。当時、右も左も分からなかった僕にとって、利用者さん一人一人に丁寧に向き合い続ける先輩たちの背中はとても眩しかったです。管理者となった今も、当時の想いを大切にしながら、日々利用者さんやスタッフに関わっています。
そこまでするの?! 介護って 「ファンタジー」
ーー 就職して7年目。さくらホーム・原の家(小規模多機能居宅介護)の管理者に就任され、立ち上げから関わられた旗手さんですが、通いの場から訪問・泊まりのサービスが加わったことで変化した事はありましたか?
その人の暮らしぶりや人となりを理解しアプローチするということに、より力を入れて取り組めるようになりました。
原の家が開所して間もなく、認知症のおばあちゃんの利用が始まりました。その方は独居でしたが、たくさんの猫と暮らしていました。ところがある日、スタッフが自宅を訪問すると、鞄の中で猫が冷たくなっていたのです。餌をやり忘れていたのかもしれません。「あんたがうちの猫を殺した!」と、利用者さんは混乱して声を荒げます。訪問したスタッフから報告をうけた僕は、どうしたものかなぁと頭をかかえました。
その時、さくらホームのケアマネージャーである石川さんから、鞄の中にいる猫を利用者さんと一緒に埋葬しようと提案がありました。石川さんと一緒にスコップをもってご自宅に訪問し、訪問スタッフも含めみんなでお庭に埋葬し丁寧なお別れをしました。利用者さんにとってとても大切な家族です。その過程を丁寧に踏んだことで彼女は落ち着き、結果的にとても感謝をされたのでした。
猫を埋葬した帰り道、僕は「小規模多機能って、ここまでやるんだ!」と、ものすごく興奮したのを覚えています。こんなに想像力を膨らまして一人の人に関わるものなのかと胸を打たれたのです。
あまりの興奮に「介護って、ファンタジーじゃな!」と、石川さんに目をキラキラさせながら話してしまったので、クスッと笑われました。
この日から少しずつ、介護に対する姿勢や考え方が変化していきます。
ーー 旗手さんがケアを提供する中で大切にしていることは何ですか?
僕は、利用者さん一人一人の暮らしの中の行動や、その時々の感情を想像しながら丁寧にアプローチすることを大切にしています。
例えば、1日3回訪問している人も、その人の暮らしの中では24時間のうちのたったの3時間に過ぎません。僕たちは、残りの21時間を関わることのできる3時間でどれだけ豊かにできるか、その仕掛け作りとして何ができるかをとことん考え抜く必要があります。
その人らしさや個性は、どんなに年をとっても障害をおっても、あり続けてほしいと考えています。そのためには、その人の生きてきた人生を、僕たちはしっかりと理解した上で関わることが重要です。
介護サービスだけを提供するのは、本当の介護ではない。
僕は、その人らしく生きるための自立支援をすることこそが介護であり、介護サービスだけを提供し命をつなぎとめることは、その人が町の中で自分らしく生きているということには繋がらないと考えます。多くの場合、地域や周りの人との接点をつくることで人の人生は豊かになります。だらからこそ、僕たちはその接点を一つでも多く提供できるようなお手伝いをする必要があります。
こうして言葉だけを聞くと、綺麗事に聞こえるかもしれません。実際には、びっくりするくらいの時間と労力を費やすことになりますし、時には住民からクレームがくることもあります。町の人に問題提起しながら、ゆっくりゆっくりと理解を得ていく。いい塩梅の距離で住民を巻き込みながら、関係性を紡いでいく。
そこを丁寧に作り上げてきた僕たちさくらホームだからこそ生み出すことのできた介護の形が、ここ鞆の浦にはあるのではないかと思います。
今後に思い描くこと
ーー今後、力を入れたい事や挑戦したい事があれば教えて下さい。
もっと介護施設の敷居をさげて、町に入りこみ繋がりをたくさん作っていきたいと思っています。
スタッフには広い視野をもって、利用者でも非利用者でも困っている人がいれば助け合えるような関わりを持ってもっていただきたいと考えています。それが、回り回って今後の働きやすさやケアの質の向上に繋がるからです。
町の至るところに「点」というリソースを持っていると、いざという時に、その人に合う「線」にアレンジしてこちらから提供することができます。
人が最期まで町で自分らしく生きるには、町から排除されることなく住民に受け入れられることが必要です。利用者だけではなく、町全体を見る必要があるのはここにあります。
僕は、自分の町で最期まで暮らせる人が、日本中にもっともっと増えて欲しいと願っています。そのためには、いわゆる「本当の介護」に共感できるスタッフを増やすこと、そして、柔軟さをもち続けるために管理しすぎない運営が必要となります。
自分自身、まだまだ日々悩むことは多いですが、さくらホームが18年間紡いできた想いを少しでも多くの方に共有し、良いケアが提供される社会を創っていきたいと思っています。
■ 旗手 隆(はたて・たかし) / さくらホーム・原の家 管理者
広島県出身。介護福祉士・ケアマネージャー。尾道市の介護福祉士養成校を卒業後、新卒でさくらホームに就職。立ち上げ当初からメインメンバーとして介護業務に従事。2012年さくらホーム・原の家(小規模多機能居宅介護)開所とともに管理者に就任。
【取材・文=河村由実子】