🥴つい言ってしまうんだよね・・・その一言に後悔するあなたが今読むべき今昔物語🌈古典に学ぶ認知バイアス【現在志向バイアス】🌈
【未来より「今」を優先する(現在志向バイアス)】
人は、時間が経てば多くの利益、損失があると知っていても、目先の利益を選んでしまう。
ima訳今昔物語【その一言が・・・】巻二十九第二十話 明法博士善澄、強盗に殺さるる語
今も昔も、言わなければいいのに…と思うことってありますよね。
盗人たちの破壊が徹底していることは床下からでも音ではっきりと分かった。
ありとあらゆる襖を倒し、戸という戸を叩き割り、簾はすべて打ち落とされた。
「や、ここも何もない」
「なんだ、この安っぽい茶碗は」
「米びつもろくに入ってないぞ」
やがて、盗人たちは何もないことそれ自体が面白可笑しいかのようにゲラゲラと笑いながら家を出ていった。
善澄※1はもう我慢ならなかった。怒りのあまり、隠れていた床下から老いた体を持ち上げるのもまるで苦でなかった。
よたよたと門を出ると、通りの向こうに盗人たちの姿はまだ見えていた。
「やい、貴様ら、その面はしっかり覚えたぞ。夜が明けたら、検非違使の別当※2に申し出て、片っ端から捕まえさせてやる」
と、門をたたきながら腹立ちまぎれに叫んだ。
盗人どもはこれを聞くと、
「お前ら、聞いたか。それ、引き返して、あいつを打ち殺してくれよう」
と言って、どやどやと走って引き返してきた。
善澄はあわてて家に逃げ込んだ。ばたばたと隠れていた床下への穴まで歩くように走り、縁の下に急いで入ろうとしたところで、床の縁に額をしたたかに打ち付けた。視界に火花が飛ぶような思いがして天地も分からなくなりただただ額に掌をあてがっていると、ひょいと体が浮くような気がしてどたりと床に転がされた。
盗人が戻って来て善澄を引っ張り出したのであった。
「それ、やってしまえ」
善澄は太刀で頭をさんざんに打ち割られて、そのまま殺された。
盗人はそのまま逃げ去ってしまったので、どこの誰だったのか、犯人の手がかりもなかった。
善澄は学才は優れていたが、和魂※3のまるでない男であったので、このような幼稚なことを言って殺されてしまったのだと、これを聞いた人々は噂をしたとのことであった。
※1 清原善澄は明法博士助教。定員二人。正七位下相当。「日本紀略」によれば、本話の事件の時、善澄は六十八歳。平安時代の平均寿命が30歳から40歳と言われていますから、けっこう長寿です。
※2 検非違使は当時の警察のようなもの。別当はその長官。
※3 学問的知識を指す「漢才」に対して、繊細ですぐれた情緒・精神を意味する語。ここでは思慮・分別といった意味合い。
【「言ってやった」と「言ってしまった」】
「言ってやった」と「言ってしまった」って,実は裏表。
「言わぬが花」(ことばで言わないほうが、かえってよい。 はっきり言ってしまうと、身も蓋もない。)ということわざもありますが,言わずにぐっとガマンする方がいい場合も多いものですね。
これは【現在志向バイアス】が強く働いています。だけど、「今昔物語」の登場人物って、ほとんど【現在志向バイアス】で行動するんですよね。現代人はもう少し冷静に未来のことまで考えられるようになっているということですかね。
【ちょこと後付】
清原氏は「日本書紀」編纂で知られる舎人親王の末裔です。そのため、子孫には文人や学者が多いとか。清少納言の父である清原元輔も歌人です。
知識はあっても頭でっかちではダメだよねという現代にも通ずる皮肉めいた目線が、この話の語りには隠すことなく、遠慮なく、表されています。
【参考文献】
新編日本古典文学全集『今昔物語集 ④』(小学館)