僕はマルチバース論に救われた
僕は、今無職だ。
職がない、肩書きがないということに、焦燥を覚えるが、何より嫌なことは、そんなことで焦ったり不安に思ったりしてしまうこと自分だ。
仕事で失敗したことは多々あるし、人に怒られることも苦手だ。
そんな僕を救ってくれたのは、マルチバース論だ。
マルチバース論とはなんぞや?
そんな人もいろかと思う。
多元宇宙論とか書けば少しイメージが湧くだろうか?
というか、文学部卒の僕にも、細かくは分からない。
宇宙がいくつかあると、ざっくりそんな感じ。
僕が富山にいた時から、提唱されていたから、少なくとも10年以上前には存在していた論だろう。
ては、マルチバース論に救われた、というのは、どういうことか?
説明しよう。
僕は、考え過ぎてしまうことも多々ある。
善悪とか強弱とか、そんなことに対してやや潔癖症なところがあるからだろう。
僕は正しくないかもしれないが、正しくありたいと思っている。
優しくありたいと思うけど、人を傷つけてしまっていると思う。
King Gnuの白日じゃないが、
後悔ばかりの人生だ、取り返しのつかない過ちも一つや二つじゃない。
今も過ちの最中かもしれない。
今も、へばりついて離れない過去のことをぐちぐち考えてしまう。
だから、きっと、うまくいった世界、宇宙もあるんだろうな、と自分を慰めてます。
「この仕事で失敗しなかった自分がいる世界もある」
「この人を深く傷つけなかった世界もある」
「あの人が夢を叶えた世界もある」
そうやって、
「たまたまこの世界は、この結びなのだ」
と
自分を許しているのだ。
まぁ、
この話を人にして、参考になった、という人はまずいない。
マルチバース論すら、ピンとこないのに、それで自分を許せって、ねぇ。
なんにせよ。
人は自分を許す術を持つべきだって思う。
運動だったり、表現だったり、食事だったり。
僕はたまたま、その一つがマルチバース論だったのだ。