あの失敗があったからよかった
なんて思ったことは一度もない。
恥の多い人生を送ってきた。
「失敗した」と赤面するような経験も多々あるが、人に話せるようになった時点で、さほど失敗とは言えない。
今思いつく失敗も生産的な反省など浮かばない。
なぜ、こんなことになってしまったんだろう。なぜ、自分で自分を恥ずかしいとおもってしまったのだろう。
苦しい後悔だけが付きまとう。
この企画の趣旨とは異なるかもしれないが、「あの失敗があったから」なんて素敵な話にさせられてたまるか!
というのが本音だ。
あの失敗があったから、こうできた、こうなれた、という話は胡散臭いものだ。特に他者に語っているものはそう感じる。
諦めない尊さでも説いているのだろうか?
僕の失敗は、何もできないことだ。
世界で苦しんでいる人が、苦しいと声を上げているのに、
また誰かが、自分の失敗談を自慢するのだろう。
それでも僕は直接物言いもできず、黙っている。
それが大いなる失敗だ。