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お肉は町の小さなお肉屋さんで買う

ここ数年、私はお肉を食べる量を減らしました。以前は毎日、肉や魚といった動物性たんぱく質をほとんど三食、食べていました。しかしいつからか、スーパーの精肉コーナーにずらりと並ぶパッケージに入った肉を見るたびに、前ほど肉を食べたいと思わなくなったのです。

スーパーには、いつ行っても、さばききれない大量の肉や魚がプラスティックのパッケージに入って棚に所狭しと並んでいます。そして買い物客たちの多くは、大した有難みを感じている様子もなく、当たり前のように買い物かごに入れています。

しかし人間の食料となる鶏、豚、牛たちの立場になってみてください。彼らは、生まれた時から、その大半は人間の食料となることを運命づけられ、ずっと低コストの劣悪な環境で、可能な限り短期間で生育され、工場に送られます。外で風や日の光を十分に感じることもなく殺されるのです。それなのに、豊かな国では、食料の大量廃棄が当たり前になっていて、スーパーで売られる肉類の約20%が廃棄されるそうです。

相当なストレス環境下に置かれた動物たちのかけらが私たちの口に入る訳ですが、そんなものを食べて健康になる訳がありません。その証拠に、飽食やグルメが当たり前の先進国の我々は、食べることには事欠かなくなりはしたけれど、癌や糖尿病、心疾患が蔓延して、その治療のために莫大な医療費を支払っている。これって、結局誰も幸せになっていない。一体、私たち何やってるんだろうと思ってしまう。

私はお肉を食べるのも好きだし、菜食主義者になる気もありません。ただ、動物たちをお金を稼ぐための商品としてしか扱わないような大手精肉企業が提供しているような肉は、どんなに安くても絶対に買いません。動物をそういう風に扱えるということは、利益のためであれば消費者の食の安全性さえないがしろにしかねないと思うからです。これは小さな抵抗です。少々高くても、手間暇をかけて動物たちを大事に育てている小規模のローカル農家のお肉を、昔ながらのお肉屋さんで少し買って、それを無駄に捨てたりせずに大事に食べたい。

利益優先の社会システムから完全に無縁ではいられなくても、可能な限りそれに巻き込まれずに自分を守って生きるにはどうしたらよいか。そういう目で世の中を見渡すと、個々人が取れる小さなアクションが食以外の場面でも実は沢山ありそうだと思っています。

#未来のためにできること


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