ホルスト - 占星術と「惑星」
ホルストと占星術との出会い:占星術への興味のきっかけ、影響を与えた人物や書籍など
ホルストの占星術への傾倒は、1910年代初頭に友人クリフォード・バックスを介して始まったと考えられています。バックスは詩人、劇作家であり、神秘主義やオカルトへの強い関心を抱いていました。彼はホルストを占星術の世界へと導き、共に占星術のチャートを作成したり、関連書籍を読み耽ったりするなど、ホルストの創作活動に少なからず影響を与えました。
当時、ホルストは地中海沿岸のスペインで休暇を過ごしており、明るい太陽と開放的な雰囲気の中で、バックスから占星術の手ほどきを受けたと言われています。この異国情緒あふれる環境も、ホルストの神秘主義への関心を高める一因となった可能性があります。
具体的な影響を与えた書籍としては、アラン・レオの著書が挙げられます。レオは近代占星術の父とも呼ばれる人物で、彼の著作は当時広く読まれていました。ホルストがどの著作を読んでいたかは明確ではありませんが、レオの思想に触れていたことはほぼ確実視されています。レオからの思想とバックスとの深い交流を通じて、占星術の知識を深めていったことは想像に難くありません。
1910年代初頭の占星術:当時の社会における占星術の普及度、占星術に対する一般的な認識
1910年代初頭のヨーロッパ、特にイギリスにおいては、神秘主義やオカルトへの関心が高まりつつありました。第一次世界大戦の勃発が社会に暗い影を落とし始めていた時代背景もあり、人々は不安や不確実性の中で、未来への希望や安心を求めていたと考えられます。
こうした社会状況の中で、占星術は一部の知識人や芸術家の間で静かなブームとなっていました。アカデミックな分野では科学的根拠に乏しいものとして軽視される傾向にありましたが、一般大衆の間では、雑誌や新聞の星占いコーナーなどを通して、娯楽として、あるいは人生の指針として占星術に触れる機会が増えていました。
アラン・レオのような近代占星術の提唱者たちの活動により、占星術は神秘主義の領域から、より体系化され、一般に理解しやすいものへと変化しつつありました。レオは占星術を「魂の科学」と捉え、自己啓発や精神的な成長のツールとして普及させようとしていました。
当時の社会全体としては、占星術に対する認識は複雑でした。科学的な合理主義が浸透しつつある一方で、伝統的な信仰や迷信も根強く残っており、占星術はそうした両極端な考え方の狭間で、独特の位置を占めていたと言えるでしょう。 明確な科学的根拠がないにも関わらず、人々の不安や好奇心に訴えかける占星術は、当時一定の支持を集めていたことは間違いありません。
「惑星」構想の誕生:占星術を音楽で表現するというアイデアの着想過程、初期構想の内容
ホルストが「惑星」の構想を得たのは、1913年のスペイン滞在中、友人クリフォード・バックスからの占星術の手ほどきを受けていた頃だと考えられています。地中海の明るい太陽の下、バックスと占星術の議論に花を咲かせ、それぞれの惑星の持つ性格やイメージに想いを馳せる中で、ホルストはこれらの天体を音楽で表現するというアイデアを着想したと推測されます。
初期構想においては、「惑星」は組曲ではなく、独立した7つの楽曲として構想されていました。それぞれの惑星が個別の性格を持つように、それぞれの楽曲も独立した作品として完結することを意図していたようです。また、当初は「地球」も作曲対象に含まれていたという説もありますが、最終的には地球は除外され、7つの惑星が「組曲」としてまとめられることになりました。
「惑星」の初期構想における特徴としては、各惑星に明確な占星術的性格が付与されていたことが挙げられます。例えば、「火星」は「戦争をもたらす者」、「金星」は「平和をもたらす者」といったように、それぞれの惑星が象徴するイメージが、楽曲の構成や雰囲気に反映されていました。この占星術的解釈は、バックスとの議論やアラン・レオの著作などから得られた知識に基づいていたと考えられます。
ホルストは各惑星の音楽的表現についても、初期段階から具体的なイメージを持っていたようです。「火星」の激しいリズムや不協和音、「金星」の穏やかな旋律などは、彼が占星術的解釈を音楽に翻訳する上で、重要な要素となっていました。また、各惑星に特定の楽器や音色を割り当てるなど、オーケストレーションにも工夫を凝らし、それぞれの惑星の個性を際立たせようとしていたことが伺えます。
各惑星の占星術的解釈:「火星」「金星」などの各惑星に付与された占星術的意味、象徴するもの
ホルストの「惑星」は、各惑星に付与された占星術的な意味合いを音楽で表現した作品として知られています。彼が参照したとされる占星術の解釈は、アラン・レオの著作の影響が色濃く反映されていると考えられます。
火星: 占星術において火星は、エネルギー、情熱、闘争、攻撃性などを象徴します。ギリシャ神話のアレスと同一視され、戦争の神として恐れられていました。ホルストは「戦争をもたらす者」という副題を付け、激しいリズムと不協和音を用いて、火星の攻撃的で荒々しい側面を表現しています。
金星: 金星は愛、美、調和、平和などを象徴する惑星です。ギリシャ神話の愛と美の女神アフロディーテに対応し、その穏やかで優美な性質が人々に愛されてきました。ホルストは「平和をもたらす者」という副題を付け、柔らかな旋律と美しいハーモニーを用いて、金星の平和的で調和的な側面を描写しています。
水星: 水星は知性、コミュニケーション、移動、変化などを象徴します。ギリシャ神話のヘルメスに相当し、伝令の神として知られています。ホルストは「翼のある使者」という副題を付け、軽快なテンポと変化に富んだリズムを用いて、水星の機知に富んだ性質を表現しています。
木星: 木星は幸運、拡大、繁栄、楽観主義などを象徴する惑星です。ギリシャ神話のゼウスに相当し、神々の王として君臨していました。ホルストは「快楽をもたらす者」という副題を付け、壮大なスケール感と華やかなオーケストレーションを用いて、木星の豊かで寛大な性質を表現しています。
土星: 土星は制限、試練、責任、忍耐などを象徴します。ギリシャ神話のクロノスに相当し、時間の神として知られています。ホルストは「老いをもたらす者」という副題を付け、重厚な響きとゆっくりとしたテンポを用いて、土星の厳格で重苦しい側面を描写しています。
天王星: 天王星は革新、変化、個性、独立などを象徴する惑星です。ギリシャ神話のウラノスに相当し、天の神として崇められていました。ホルストは「魔術師」という副題を付け、神秘的な雰囲気と予測不可能な展開を用いて、天王星の革新的で奇抜な性質を表現しています。
海王星: 海王星は神秘、夢、幻想、直感などを象徴する惑星です。ギリシャ神話のポセイドンに相当し、海の神として知られています。ホルストは「神秘主義者」という副題を付け、曖昧な響きと漂うような旋律を用いて、海王星の神秘的で幻想的な側面を描写しています。
これらの占星術的解釈は、当時の一般的な理解に基づいており、現代の占星術とは異なる部分もあるかもしれません。しかし、ホルストが「惑星」を創作する上で、これらの解釈が重要な役割を果たしたことは間違いありません。
占星術的解釈の音楽的表現:各惑星の性格をどのように音で表現したか、使用された音楽技法、楽器編成など
ホルストは「惑星」において、各惑星の占星術的性格を巧みな音楽技法と楽器編成によって表現しています。単に占星術的概念を音楽に落とし込むのではなく、作曲家としての個性を発揮し、色彩豊かなオーケストレーションと印象的なリズム、旋律を駆使することで、聴く者の想像力を掻き立てる独自の音楽世界を創造しました。
火星(戦争をもたらす者): 5/4拍子という不規則なリズムと、執拗に繰り返されるオスティナート、金管楽器の強烈な響き、不協和音の多用などによって、戦争の激しさ、暴力性、不安感を表現しています。
金星(平和をもたらす者):ホルン、木管楽器、弦楽器の柔らかな響き、穏やかな旋律、流れるようなリズム、ハーモニーの重視などによって、平和の静けさ、優美さ、調和、そして希望を表現しています。
水星(翼のある使者):フルート、ピッコロ、チェレスタなどの高音域の楽器を効果的に使用し、軽快なテンポ、変化に富んだリズム、短い音符の連続などによって、水星の俊敏性、機知、多面性を表現しています。
木星(快楽をもたらす者):壮大なスケール感、華やかなオーケストレーション、堂々とした旋律、全音階的な響きなどによって、木星の豊かさ、寛大さ、楽観主義、そして祝祭的な雰囲気を表現しています。中間部の民謡風の旋律は、後の「我は汝に誓う、我が祖国よ」として広く知られるようになり、木星の国民性、愛国心といった側面も暗示していると言えるでしょう。
土星(老いをもたらす者):低音域の楽器の重厚な響き、ゆっくりとしたテンポ、沈鬱な旋律、ハーモニーの微妙な変化などによって、土星の厳格さ、重苦しさ、老い、そして死の影を表現しています。終結部の静寂は、死の静けさ、あるいは永遠の安息を暗示しているようにも解釈できます。
天王星(魔術師):ピッコロ、チェレスタ、ハープ、弦楽器のトレモロなどの特殊奏法を駆使し、神秘的な雰囲気、予測不可能な展開、不協和音と協和音の対比などによって、天王星の革新性、奇抜さ、神秘性、そして魔術的な力を表現しています。
海王星(神秘主義者):弦楽器のトレモロ、ハープのアルペジオ、木管楽器の柔らかな響き、曖昧な旋律、無調的な響き、そして女声合唱の神秘的な歌声などによって、海王星の神秘性、幻想性、夢幻的な世界、そして精神的な深淵を表現しています。終結部のフェードアウトは、無限の宇宙へと消えていくような印象を与えます。
ホルストはこれらの技法を駆使することで、単なる占星術的解釈を超えた、深遠で奥行きのある音楽世界を創造することに成功しました。
「地球」の不在:占星術における地球の役割、ホルストが「地球」を除外した理由
ホルストの「惑星」には地球が含まれていません。これは、彼が依拠していた占星術的な視点、そして「惑星」全体の構成上の意図に基づくものと考えられます。
占星術において、地球は「自己」を象徴します。太陽系の中における地球の位置づけではなく、個人のホロスコープにおける視点、つまり「自分自身」が立つ場所を意味します。他の惑星は、この地球(=自己)に様々な影響を与える存在として解釈されます。
ホルストは「惑星」において、地球(=自己)を取り巻く宇宙、そしてその影響力を音楽で表現しようとしていました。地球自体を描くのではなく、地球から見た他の惑星の影響、宇宙の広がりを描写することに焦点を当てていたのです。もし地球を含めてしまうと、作品全体の構成が複雑になり、宇宙的なスケール感や神秘性が損なわれてしまう可能性がありました。
また、「惑星」の構成は、当時の占星術における惑星の解釈にも影響を受けています。ホルストはアラン・レオの著作などを通じて、近代占星術の知識を吸収していました。レオの占星術では、太陽系の惑星が個人の性格や運命に与える影響が重視されていました。ホルストは、この占星術的視点を音楽で表現するために、地球を除外した7つの惑星に焦点を絞ったと推測されます。
さらに、純粋に音楽的観点からも、地球を除外することは理に適っていたと考えられます。7という数字は音楽において特別な意味を持ち、多くの作曲家が7音音階を用いてきました。ホルストもまた、7つの惑星による組曲という形式に美学的な魅力を感じていたのかもしれません。
このように、「地球」の不在は、占星術的視点、作品全体の構成、そして音楽的美学の3つの要素が複雑に絡み合って生まれた結果と言えるでしょう。
「惑星」初演とその反響:当時の聴衆の反応、批評家の評価、占星術との関連に対する言及
「惑星」は、第一次世界大戦終結後の1918年から1920年にかけて、断片的に初演されました。組曲全体を通した初演は、1920年11月29日にロンドンで行われ、指揮はアルバート・コーツが務めました。
初演時の聴衆の反応は概ね好意的で、特に「火星」と「木星」は大きな人気を博しました。戦争の記憶が生々しい時代背景もあり、「火星」の持つ暴力的なエネルギーは聴衆に強い衝撃を与え、一方で「木星」の壮大な響きと祝祭的な雰囲気は、戦後の疲弊した人々の心に希望と安らぎをもたらしたと考えられます。
しかし、批評家の反応は必ずしも肯定的なものばかりではありませんでした。一部の批評家は、ホルストの音楽を「騒々しい」「不協和音ばかり」と酷評し、占星術との関連性についても懐疑的な見を示しました。当時、占星術は科学的根拠に乏しいものとして、一部の知識人からは軽視される傾向にありました。そのため、「惑星」の占星術的テーマは、一部の批評家から反感を買った可能性があります。
新聞や雑誌などでは、占星術との関連性について言及されることもありましたが、ホルスト自身は公の場で占星術について詳細な説明を行うことは避けていました。彼は「惑星」を純粋に音楽作品として評価してほしいと考えており、占星術的解釈が作品理解の妨げになると懸念していたのかもしれません。
「惑星」の初演は、商業的には大きな成功を収めました。楽譜の出版、レコードの発売、そして演奏機会の増加により、ホルストの名声は高まり、彼はイギリスを代表する作曲家の一人として認められるようになりました。
しかし、ホルスト自身は「惑星」の大衆的な人気に複雑な思いを抱いていたようです。彼は「惑星」が他の作品を凌駕するほどの人気を得たことに戸惑いを感じ、自身の芸術家としての評価が「惑星」一曲に偏ってしまうことを危惧していました。
とはいえ、「惑星」が20世紀の音楽史に大きな足跡を残したことは間違いありません。その壮大なスケール感、色彩豊かなオーケストレーション、そして占星術的テーマは、多くの作曲家に影響を与え、後世の映画音楽やSF作品などにも広く引用されています。
ホルスト自身の「惑星」解釈:占星術的解釈と作曲者自身の意図との関係、作曲後の発言など
ホルストは「惑星」の占星術的解釈について、公の場ではあまり明確な発言をしていませんでした。 彼は占星術に個人的な関心を抱いていましたが、作品が占星術的な解釈のみで評価されることを望んでいなかったようです。むしろ、音楽そのものの力で聴衆に訴えかけ、それぞれの解釈に委ねたいと考えていた節があります。
ホルスト自身は「惑星」を「性格描写のための組曲」と呼んでおり、各惑星を擬人化し、その性格や雰囲気を音楽で表現することに重点を置いていました。占星術はあくまでインスピレーションの源であり、作曲の過程で重要な役割を果たしたことは確かですが、最終的には音楽的表現が優先されていたと考えられます。
作曲後の発言としては、「私は占星術の専門家ではない」という趣旨の発言が残されています。 これは、作品を占星術的な観点だけで解釈することを牽制する意図があったのかもしれません。 また、一部の惑星の副題については、占星術的な意味合いとは異なる解釈を示唆する発言も残されています。 例えば、「木星」の副題「快楽をもたらす者」については、単なる享楽的な意味ではなく、より高尚な精神的な喜びを表現したかったと述べています。
ホルストは、聴衆が自身の音楽を通じて、それぞれの惑星が持つ多様なイメージや感情を自由に感じ取れることを期待していました。 占星術的解釈はあくまでも一つの視点であり、聴衆は音楽から様々なインスピレーションを受け、独自の解釈を構築することができる、というのがホルストの考えだったと言えるでしょう。 彼は、固定化された解釈を押し付けるのではなく、聴衆の想像力に委ねることで、作品がより深く理解され、より長く愛されることを願っていたのかもしれません。
後世への影響:「惑星」が後世の作曲家や音楽に与えた影響、占星術をテーマにした音楽作品など
ホルストの「惑星」は、20世紀以降の音楽に多大な影響を与え、その壮大なスケール感、色彩豊かなオーケストレーション、そして占星術的テーマは、多くの作曲家にとってインスピレーションの源となりました。
映画音楽への影響: 「惑星」の影響は、特に映画音楽において顕著に見られます。ジョン・ウィリアムズの「スター・ウォーズ」シリーズやジェームズ・ホーナーの「タイタニック」など、数多くの映画音楽に「惑星」の響きを彷彿とさせる passages が見られます。特に「火星」の力強いリズムや金管楽器の響きは、SF映画やアクション映画において、緊迫感や戦闘シーンを演出する定番の表現手法として定着しました。
クラシック音楽への影響: 「惑星」は、クラシック音楽の分野にも大きな影響を与えました。例えば、イギリスの作曲家コリン・マシューズは、「Pluto, the Renewer」を作曲し、「惑星」に冥王星を追加しました。また、その他の作曲家たちも、惑星や宇宙をテーマにした作品を多数発表し、「惑星」の系譜を受け継いでいます。
占星術をテーマにした音楽作品: 「惑星」以降、占星術をテーマにした音楽作品は数多く創作されていますが、「惑星」ほどの知名度と影響力を持つ作品は稀です。 「惑星」が占星術をテーマにした音楽の代表作として、後世の作曲家たちに大きな影響を与えたことは間違いありません。
ポピュラー音楽への影響: 「惑星」の影響は、クラシック音楽や映画音楽だけでなく、ポピュラー音楽の分野にも及んでいます。ロックバンドのキング・クリムゾンやYesなどは、「惑星」からインスピレーションを得た楽曲を発表しています。また、電子音楽やアンビエントミュージックなど、様々なジャンルの音楽に「惑星」の要素が取り入れられています。
ホルストの「惑星」は、単なる音楽作品を超えて、一種の文化的アイコンとして、現代社会に深く根付いています。その影響は、音楽の分野にとどまらず、映画、テレビ、ゲーム、そして宇宙開発など、様々な分野に及んでいます。 「惑星」は、これからも人々の想像力を刺激し続け、新たな創作活動の源泉となることでしょう。