とものり

クラシック音楽の愛好家です。 アマチュアオーケストラでクラリネットを吹いています。 クラシック音楽の雑学を少しずつ書いていこうと思います。

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最近の記事

カラヤン - 神童カラヤン、音楽の道へ

1. ザルツブルクの生い立ち:音楽一家に育まれた幼少期ヘルベルト・フォン・カラヤンは、1908年4月5日、オーストリア=ハンガリー帝国時代のザルツブルクに生まれました。生家は医者一家であり、父エルンストは著名な外科医、兄ヴォルフガングも後に医師となっています。カラヤン家はギリシャ系であり、元々はカロヤンニスという姓でしたが、18世紀にザルツブルクに移住した際にドイツ語読みのカラヤンに改姓しました。裕福な家庭環境と、芸術を愛する家族の雰囲気の中で、カラヤンは幼少期から音楽に親

    • ドヴォルザーク - 交響曲第9番「新世界より」の誕生

      1. ドヴォルザーク、アメリカへ:ナショナリズムの高まりとドヴォルザーク招聘の背景(1892年)19世紀末のアメリカは、経済成長と社会変化の渦中にありました。南北戦争終結後、国家としてのアイデンティティ確立が急務となり、文化面でも独自のスタイルを模索していました。ヨーロッパの伝統音楽からの脱却、真にアメリカ的な音楽の創造への渇望が高まっていたのです。 そのような時代背景の中、実業家であり慈善家であったジャネット・サーバー・メアリー・ガーバーは、ナショナリズムの高まりを受け、

      • 自己紹介 | はじめてのnote

        はじめまして、とものりと申します。 既にブログをいくつか投稿しています。 このブログでは、クラシック音楽の魅力を皆さんと分かち合いたいと思っています。 まずは、少しだけ私のことをお話させてください。 私は、東京都出身の49歳。 システムエンジニアとして働きながら、日々クラシック音楽を楽しんでいます。 クラシック音楽との出会いは、小学校の時に学校の行事でクラシックを聴きに行ったことでした。 先生に連れられて市民会館で生のオーケストラを初めて聞きました。 色々な曲を

        • ショパン - ピアノの詩人の誕生

          1. 幼少期の音楽的才能:ワルシャワ郊外での生い立ちと早期の作曲活動フレデリック・ショパンの音楽的才能は、ワルシャワ郊外のジェラゾヴァ・ヴォラで幼少期から顕著に現れました。家庭環境は、彼の才能を育む上で重要な役割を果たしました。父親ニコラはフランス出身の教育者で、洗練された趣味を持ち、家庭内で音楽が日常的に存在していました。母親ユスティナはアマチュアピアニストであり、ショパンに最初のピアノの手ほどきを与えた人物です。 ショパンは驚くべき速さでピアノの技術を習得し、わずか7歳

          ハイドン - ベートーヴェンとの師弟関係

          1. ハイドンとベートーヴェンの出会い1792年、若きベートーヴェンはウィーンを訪れ、ハイドンに師事することを熱望しました。当時、ハイドンはヨーロッパ楽壇の重鎨として、オペラ、交響曲、弦楽四重奏など、あらゆる分野で傑作を生み出し、名声を確立していました。ボンで宮廷楽師として働いていたベートーヴェンは、ハイドンの名声に惹かれ、更なる研鑽を積むためにウィーン行きを決意したのです。 ベートーヴェンは、個人レッスンを受ける形で師弟関係をスタートさせました。ハイドンは多忙なスケジュー

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          ブラームス - ハンブルクでの苦難の演奏活動

          1. 10代後半のブラームス:故郷ハンブルクでの音楽活動の始まりと経済状況10代後半のブラームスは、故郷ハンブルクで、まさに音楽家としてキャリアを築き始める時期にありました。しかし、華々しいデビューとは程遠い、苦難に満ちたスタートを切ることになります。 彼はピアニストとして、また作曲家としても活動を始めましたが、その舞台は主に酒場やダンスホール、そして裕福な家庭でのサロンコンサートなどでした。 経済的に困窮していたブラームス一家にとって、彼の収入は貴重な家計の支えとなるはず

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          バッハ - 月明かりの楽譜写し

          1. 楽譜写しの仕事バッハは作曲活動に加えて、多くの楽譜の写し作業を行っていました。これは、当時、音楽出版が普及していなかったため、作曲家の作品を保存・伝達するために不可欠な作業でした。 特にバロック時代は、音楽の需要は高まっていましたが、印刷技術はまだ発展途上にありました。そのため、楽譜を手書きで複製することは、音楽を学ぶ人々や演奏家にとって重要な手段だったのです。 バッハ自身も、多くの作曲家の楽譜を写し取ることで、様々な作曲技法や音楽様式を学び、自身の作曲に活かしていま

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          モーツァルト - 神童と呼ばれた幼少期の演奏旅行

          1. ザルツブルクでの幼少期と音楽の才能の開花ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは、1756年1月27日、オーストリアのザルツブルクで生まれました。 父レオポルトはザルツブルク大司教に仕える宮廷ヴァイオリニストで、一流の腕前を持っていました。まさに音楽一家に生まれたモーツァルトは、自然と音楽に囲まれた環境で育ちます。 モーツァルトの音楽の才能は、驚くほど早く開花しました。姉のナンネル(マリア・アンナ)も音楽の才能に恵まれていて、レオポルトは2人にハープシコード(チェン

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          ベートーヴェン - 神童と呼ばれた幼少期

          1. ベートーヴェンの誕生と音楽的家庭環境ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは、1770年12月16日(洗礼日)、ドイツのボンで生まれました。彼の祖父は宮廷楽長を務めるほどの音楽家で、父ヨハンも宮廷歌手兼鍵盤奏者でした。つまり、ベートーヴェンは音楽一家に生まれたわけです。まさに音楽が空気のように存在する環境で、幼いベートーヴェンは自然と音楽に親しんでいったんですね。 ただ、父ヨハンは厳格で、息子を「第二のモーツァルト」にしようと躍起になっていました。モーツァルトが神童とし

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