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九藤朋作『僕らは数字に踊らされている』【089、若しくは修羅のようであると】より引用抜粋。
「腕を断ち切れなどと。よくも私に言ってくれたな。吉馬。この、私に、そんなことが出来るものか。私とお前は独りと独りだった。独りだったからこそ、独りではなかった。そのくらいのこと、私にだってよく解ってるいるよ。……なあ、ユークリッド…………」
ユークリッドの思念が聴こえる。
真摯でひたむきな。孤高の。古代に咲いた奥ゆかしき才能の主。
希望を捨てるなと、そう言い募る。
なぜだろう。
はるかなる偉人であり先達でもある彼に、懇願されていると感じるのだ。利己ではない。征爾の為、吉馬の為にだ。
希望……。
――――希望。
「ユークリッド。私にはそれが怖ろしくてならないのだ。パンドラはなぜ、全てを散逸してしまわなかったのだろう。光であり闇であり。実に惨たらしく一個を残してくれたではないか。あれは毒だ。病の類に他ならない。誰もが希望と言う名の病を得たが為に苦しんでいる。違うか? だから希望と言う名の毒は、いずれ私の心身をも喰い破るのではないかと。そう私は考えてしまう……」
痛烈な物言いだった。そして征爾の正しさを、宇宙は沈黙して認めている。
しかし征爾の声は『原論』の編者を微塵も責めていない。
星々の瞬きがある天蓋を仰ぐ。
如何なる親密な関係でも伝達する行為を怠ってはならない。その手入れをさぼれば強固な関係も歪み、もつれ、離別する。
吉馬も征爾も、それはよく知っていた。
古代ギリシャの心ある天才が今、その点において非常に賢明な行為をしていることも。
征爾の書棚には『原論』のラテン語訳が収められている。
征爾は当然、読了しているし、数美にも日本語で語って聴かせたことがある。
「ユークリッド。……古代の英傑よ。私が今から言う言葉を聴けば、君は笑うだろうか。傲慢にして僭越にして、だが私は君をこう思っているのだ」
上方に饒舌な星。
友よ、という儚い声は星の瞬きと同様、刹那に消えた。
谺のように同じ言葉が返る。
古代に生きたギリシャ人の声で。
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