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【心理機能】生きやすさ=主機能が使えるか?【MBTI】


「生きづらい」
「生きやすい」

昔からよく聞くフレーズではあるが、近年になって見聞きすることが増えたように思う。
特に令和になってからは「生きづらい」「生きるのが下手」などを見聞きする機会が顕著に増えたと感じる。

これは日本の社会情勢も含めて様々な要因が考えられる。
特に若い世代に関しては、現状への不満もあることと思うが

・社会・自己の未来の不確定さ
・社会・自己の未来の可能性の閉塞感
この2つも大きな要因であると以前から思っている。
これは「ひらめきを得て現在から未来を想像する」N型の性格特性を持つ者は顕著であろう。

「未来にこうなるためにはこうするべき」
「こうすれば、未来はこうなるんじゃないか」
主に使用する心理機能のためN型はこのような思考パターンを持っているが、未来や想像の余地が閉ざされることにより「生きづらさ」を感じやすいのではないかと思う。

・心理機能の主機能=利き手

例えば自認するタイプがENFPの私の場合
知覚機能:外的直観(Ne)
外界の物事から様々な未来の可能性を見出す。

判断機能:内的感情(Fi)
知覚から得られたたくさんの可能性を自分の中の倫理観で判断する。
この過程がたまらなく心地よい。

そして判断結果を現実に反映させていくわけだが、未来の可能性が閉ざされればそもそも十分な知覚が不可能になり閉塞感を覚える。
もしくは知覚→判断までは行えたとしてもそれを現実に反映できる環境にない場合は無力感を覚えることになる。
いわば「利き手を縛られたまま生きている状態」である。当然「=生きづらい」となる。

先の記事でも言及したが、私の主機能であるNeは大きな組織や成熟した組織では不必要とされることがほとんどだ。
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J型のENFJの場合
判断機能:外的感情(Fe)
周囲のニーズを判断して全体の協調と親和を図るために

知覚機能:内的直観(Ni)
自分の内面から得られた可能性を収束させて一つの確固たるビジョンを得る。

P型とは判断と知覚が逆になっている。
知覚で得られた一つのビジョンに向かって現実を進むことになるため基本的に道筋は一本道である。J型から感じられる責任感はこれに由来すると思われるが、Niはこの道筋が非常に強固かつ長い。彼らはしばしば「真理」という言葉を使う。

P型の私には実感はできないが、おそらく得られたビジョンに向かって進んでいる過程が心地よく感じられるのではないかと思う。

こちらも未来が閉塞していると「生きにくさ」を感じるであろうが、外的感情機能がもたらす現代の社会的な優位性と、J型由来の責任感ゆえ周囲からの評価は比較的高くなるためP型より多少マシかと思う。
(しかし周囲の評価と責任感ゆえ、結果として頑張りすぎてバーンアウトする人物が出がちなのも納得がいく)

これが内向型のINFJの場合
主機能の内的直観(Ni)で内面から知覚し未来のビジョンを得て、そのビジョンを実現するためにサブ機能の外的感情(Fe)を使用していくことになる。
こちらは主機能を使用する時点で「未来の閉塞感」を感じているならば良いビジョンが見えない、もしくは定まらずそもそも心地よい知覚が不可能となるであろう。内向かつ、判断機能が外に出ているJ型の責任感と目的思考のため、外向型のENFJより「生きにくい」と感じることが多くなるのではないか。

このように各タイプとも様々に「生きづらい」要因はあるであろうが
主にN型の若者が「生きづらい」と感じるのは、現代の社会情勢や所属組織の体質から「未来」というものが不透明or可能性が閉ざされており主機能及びサブ機能の直観機能が抑圧されているせいかも知れない。
さらに、現代組織の新卒社員という立場においては直観は良しとされる場面が少ないためとも考えられる。

内的感情(Fi)も現代社会における組織での実務には不要である場面が多い。故にこちらも実務をする上では常に利き手を縛られている状況だ。
主機能とサブ機能で内的感情(Fi)と外的直観(Ne)で揃ってしまっているINFP、ENFPが現代社会ではとても生きづらいと感じる傾向が強いのはこれが所以か。

直観機能を用いるのはENTJやINTJも同様だが、両タイプが使い慣れている外的思考(Te)は競争社会においては特に優位性がある機能なのでカネは問題なく稼ぐことはできる。そのため「生きやすさ」の上では比較的マシだと思われる。

最初に述べたがENFPの私は主機能Ne→サブ機能Fiの過程がたまらなく心地よい。右手と左手が存分に使えるからだ。
当たり前だが使い慣れた心理機能が抑圧され、利き手(あるいは左手、両手)を縛られた状態で生きていけ。と言われれば生きにくいのも当然である。
現代社会の組織においては思考機能(特に外的思考)や感覚機能が有用とされている背景があるため、学業では優秀だったN型が社会に出た途端にカードが裏返ったように生きにくさを感じることがある。

若者が生きやすくなるためには、自分の心理機能を自覚して活かせられるような進路選択をすることが大事なのではないかと思うが、残念ながらそのようなシステムは現代の学校教育には存在しない。

結果として、自分の心理機能の特性を知らずに「一般論として正しい」選択をし続けた結果、気づいた時には「なぜかわからないが生きづらい」状況に陥っていることになる。
周囲から正しいと教えられ信じてきた選択をしてきたはずなのにである。
正しいと信じているだけに、それまで辿ってきた過程を簡単に捨てることもできず、板挟み状態のまま日々を過ごすことになる。

昨今、類型論が若者の間で流行しているのはこのような背景もあるのではないだろうか。類型論で自己認識を深め、それを他者とコミュニケーション取りつつ確認することで自己の傾向を無意識に掴もうとしているのではないか。

勿論、これは私個人の意見なので全て正しいと思ってなどいないが、進路や就活に悩む学生さんには是非参考にしていただきたい。

今一度自分の心理機能のうち、主機能→サブ機能の過程とそれがもたらす心地よさを自覚してみると何かが得られるかも知れない。

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