【書評】『雨滴は続く』西村 賢太 文藝春秋
西村賢太氏は、1967年東京都江戸川区出身。2022年2月4日夜、タクシー乗車中に意識を失い、翌5日死去。54歳の若さだった。死因は心疾患。独身だった。
わたしはこの報に接し、代えの利かない偉大な書き手を失ったと絶句し、非常に残念でならないという言葉しか浮かばなかった。合掌。
本作の連載を毎月心待ちにし、図書館でむさぼり読んでいた。この連載のためだけに図書館に行っていたともいえる。
詳しい作者の略歴は下記のwikiにて。一瞥すれば了解する通り多作である。
Audibleで聴了
わたしは、本作の現物を手に取ったものの、その厚さに気圧され、Audibleで聴くことにした。都合9時間程かかった。
Audibleの使い勝手はというと、大変良好だった。音楽アプリ等と同様に裏で他のアプリも同時に使える。誰でも最初の30日間無料のようなので、是非試していただきたい。
メリットを挙げると、すきま時間に聴けるということだ。移動時間に聴ける。ながらでも小説を楽しめる。
社会人の平均勉強時間は1日6分といわれる。移動時間に30分聴けばその他大勢より5倍有益な活動をしていることになる。
デメリットとしては、同音異義語が一瞬分からないことが挙げられる。例えば、「転載⇔天才」など。要約サイトで事前にどんな話か確認しておけば防げる程度のもので致命的なものではないと思われる。
以下が本題。
西村流弁証法
Aである→Aでない→A´であるといった態で一つひとつの細かい行為がいちいちこの文体で進むので合うあわないはあると思う。その西村流弁証法が合うひとにとっては粘着的な人物描写がドンピシャではまり、どんどん読み進めてしまう(聴く?)こと請け合いだ。
コンプラ違反
違法女淫、一穴主義など、男女平等、セクハラ反対、ジェンダーレス全盛の時代の真逆をいく主人公の人物造形が生理的に受け付けないというひともいるやも知れぬ。西村は文学にしかできないことをやってのけているのだと割り切って、これは自分の知っている世界とは違う、こういうオトコもいるのだなと一歩引いて読むと得るものがあるかも知れない。
私小説の極み
村上春樹とは土俵が違うが、わたしは『多崎つくる...』以降の村上作品が読めなくなった。なぜなら「いま」この村上作品を読む切実な動機が見出せなくなったからだ。
それに比べ西村の作品は、日々の現実生活の重みと等価の並々ならぬ迫力がある。すなわち、いまこれを読まなければ何かを見落としてしまうと思わせる鬼気迫るものがあった。
独特の文体
べらんめえ調の話体が新鮮で、緻密な心理描写は類例のないほど粘着的で人柄が偲ばれる。また戯古典的という表現が適切か否か分からないが、様々な言葉の勉強にもなる。例えば、わたしは「岡惚れ」という言葉を知らず、国語辞書で調べる始末。自分の無知を恥じたものだ。
モデルがいること
古書店主、新聞社社員など、かなり細かい人物造形がされているところ、プライバシーの問題がある。ここでいささか無粋で迂遠ではあるが、過去の別の作家によるモデル小説事件を紹介しよう。
過去のモデル小説事件
●「石に泳ぐ魚」事件
芥川賞作家Bは「石に泳ぐ魚」という作品でモデルの顔面の腫瘍について言及し、本来であれば秘匿しておきたいと思うはずのことを作品にした。モデルは出版差し止めを提起し、B側は上告したが、最高裁で棄却された。判決要旨は下記の通り。
さいごに
回復困難な損害が生じるおそれがあるという箇所がポイントであるように思える。一方、西村は古書店主、新聞社女性に事前に許可を取っていたようである。
辛辣な表現の中にもそこはかとない温かみがある作品である。辛い人生経験を経て深い人間洞察力を獲得し、なによりひとが好きなんだろうなと感じさせる人物描写は好感が持てるものであった。文庫版が出たら買おうかな。
以上
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